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最初の宣教師たち

聖パウロ修道会の新しい顔――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(52)

 ロレンツォ・ベルテロ神父が日本を離れて二十五年目の一九七七年、彼は深く愛する宣教地を再訪するために日本に戻った。そこで彼は日本を離れる前には想像すらできなかった、見事に発展を遂げた「パウロの町」を見たのである。

 すべては、聖パウロ修道会の守護聖人である聖パウロのご保護の目に見える「実り」であった。ロレンツォ神父が東京で目にした聖パウロ修道会の全貌は、修道会の副総長(現総長)であったレナート・ペリーノ神父が一九七二年の『コーペラトーレ・パオリーノ』四月号と五月号に寄稿した「Il nosto Giappone(私たちの日本)」という以下の記事に詳細に述べられている。

東京の「パウロの町」

 聖パウロ修道会は東京都八王子市に新修道院を建設し、隣接する「聖パウロ学園」とともに都心の混雑した環境の赤坂から移転し、その落成式を一九七一年十一月三日に執り行った。

 盛大な祝賀会には濱尾文郎・東京大司教区補佐司教、管区長アルド・ヴァラルド神父、院長の立石幸雄神父、関係官庁、自治体の代表者、建物の設計者、技師、建築会社の役員、日本管区の全共同体の会員たち、およびパウロ家族の招待者たちが参列し、ソウル(韓国)からはパウロ・マルチェリーノ神父(日本における聖パウロ修道会の創始者)も駆けつけた。聖パウロ修道会総長のザノーニ神父は、この祝典のために私を総長代理に任命した。

 この日は私たち聖パウロ修道会日本管区の歴史において、極めて重大な段階を示していた。それは管区で最も人数が多く、会員の養成と出版活動の技術的責任を担う共同体が、豊かな樹木の生い茂る丘に囲まれた、緩やかな傾斜地を持つ一二〇ヘクタールの広い土地に、限りない発展の可能性を見いだした日であったのだから。

 この地域は東京都の郊外にあり、谷の右側、すばらしい景観の地に共同体の住居がある。修道院は三つのブロックに分けられていて、それぞれ高校生の志願者と修練者の住居、誓願者の住居、そして彼らのお世話をする「ピエ・ディシェポレ」(師イエズス修道女会)のシスターたちの住居となっている。

 住居の部分と連結して聖堂、大印刷工場、応接室と幾つかの事務室がある。そして、修道院の向かい側、谷の右側の緩やかな斜面に「聖パウロ学園」の校舎が建てられている。学園には教室、実験室、一八〇名の生徒のための寄宿舎があり、日中はパウロ会の志願者もここで、一般の生徒と一緒に授業を受ける。

 「聖パウロ学園」はプールや体育館を備え、身体的、文化的、科学的、倫理的、社会的教育を施し、またキリスト者でない生徒の入学も認めている。直接的な信仰教育ではないが、精神面における情操教育に努め、できる限り十全な教育を行っている。

 この学園における教育は、長い間の研究と経験に基づくリズムに則って、あまたの文化的、社会的、個人的、創造的活動の融合と調和を目指して行われる。その授業は一日六時間以上に及ぶ。視聴覚設備は各自の準備状況、能力、受容範囲のレベルに見合った個人教育の可能性を生徒たちに提供している。

 この「聖パウロ学園」は、高校生には教育を通した社会的貢献」という使徒的活動を謳っているが、直接的には私たち聖パウロ修道会の志願者の特殊教育という目的も併せ持っている。また、将来の「社会的コミュニケーションの分野における使命」という観点から、若い誓願者たちに対する教育の目的もある。新しい校舎は日本の著名な建築家によって設計され、工事は期間内に完成し、備品の細部に至るまで完璧に仕上げられた。あらゆる点において華美や贅沢さは微塵もなく、機能性と洗練された簡素さ、量感、空間、形態、そして色調の調和がうかがえ、これらが広大な地形の特徴を見事に生かしている。

五十周年

監修者注:一九八四年、ロレンツォ・ベルテロ神父はもう一度、予想もしなかった恵みを受けた。それは同年十一月二十三日に東京において、日本における「聖パウロ修道会創立五十周年」を修道会の上長たち、日本の聖パウロ修道会の全共同体、そしてイタリア人の「先駆者」グループとともに祝うことができたことである。その五十周年の基礎となったのは、遡ること一九三四年、尊敬すべき故パウロ・マルチェリーノ神父とベルテロ神父がともに築き上げたものであった。この記念すべき出来事を、会の総顧問であるアントニオ・チェザーレ神父が『コーペラトーレ・パオリーノ』に報告している。 ここにその一部を紹介する。

 日本の暦では十一月二十三日は国の祝日で、「勤労感謝の日」と呼ばれている。この日を関係者は、最初のパウロ会員たちが来日した五十周年記念式典の日に選んだ。

 現在、日本における聖パウロ修道会の会員は約五十名。三つの修道院、すなわち管区長館のある若葉修道院、印刷工場を所有する八王子の養成修道院、そして福岡の志願院である。東京の四谷には書店を含む出版社がある。

 東京で行われた五十周年記念式典において「祈り」と「黙想」のテーマとなったのは、最初に来日した聖パウロ修道会宣教師たちの信仰についてであった。

 「感謝のミサ」は、ペトロ白柳誠一東京教区大司教の主司式によって、イエズス会が経営する上智大学(ソフィア・ユニバーシティ)と隣接する聖イグナチオ教会の聖堂で執り行われた。イタリアからは総長のレナート・ペリーノ神父と、日本における聖パウロ修道会創立という重要な時期に貢献した四人の司祭、ロレンツォ・ベルテロ神父、ジョヴァンニ・キエザ神父、アンジェロ・カステッロット神父、そしてパオロ・チリオ神父が参列した。

 白柳大司教はパウロ家族の会員たちと聖堂を埋め尽くした協力者や友人たちに、アルベリオーネ神父の持つ「直観の重要性」を強調されて、次のように述べられた。

 日本はまさにここ数年、将来のマス・メディア発展のために活発に活動しつつある。そして教会が福音のメッセージを普及するために、こうした手段を用いるということは常に必要なことである。テレビのおかげでローマ教皇ヨハネ・パウロ二世のお姿は、多くの日本人に知られるようになった。教皇職の務めとして各国を司牧訪問して説教を行い、絶えず「平和」について語っておられるこの使徒ペトロと使徒パウロの後継者は、日本人に対して明らかに好意を持っておられる。(その証しとして)三年前の教皇の日本訪問以来、意義深いことに少しずつ、カトリックへの回心者が増加している(以下、省略)。

 ミサの中では、ユスティノ戸村修、テモテ山内堅治の二人のパウロ会員の司祭叙階式が行われた。この叙階式は、「創立五十周年記念祭」の中心的で重要な行事であった。彼ら二人の司祭は「使徒職の戦場」に到着した若き兵士たちであり、最初の会員たちは彼らに理想の松明と、その行く手に控えているであろうあまたの困難にもかかわらず、活動を続けていく勇気をこの二人の会員に手渡したのである。

 ミサの後、祝賀会が行われた。席上、日本人会員たちは洗練された趣向を凝らして、ロレンツォ神父をはじめ日本で活躍したイタリア人会員たち、そして今現在も活躍しているイタリア人会員たちに対して深い「感謝」と「ねぎらい」の思いを表した。

 そして式典から数日たった十二月二日、福岡の志願院でも同様の「感謝祭」が行われた。私たちは九州に来ていた。「東洋の使徒」聖フランシスコ・ザビエルが四世紀前、日本人の救霊のために最初に働いたのはここ九州であり、また多くのパウロ家族の召命が生まれたのもここであった。福岡の「創立五十周年記念式典」でも、多くの人たちの心からの参加があった。特に日本の聖パウロ修道会の「希望」である志願院の少年たちの参加は、実に感動的であった。

ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』2020年

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