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カトリック入門

【カトリック入門】第103回 ティモテオ・ジャッカルド神父の生涯【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

 ジャッカルドは、1896年6月13日、北イタリアのアルバにあるケラスコ村(現在のナルツォーレ)で生まれます。農家でした。
 1903年~1908年、ナルツォーレの小学校に通います。
 アルベリオーネは1907年に司祭に叙階され、聖ベルナルド教会の助任司祭を務めます。その時に、将来のアルベリオーネ神父にとっての右腕とも言えるティモテ オ・ジャッカルドに出会います。1908年の春のことです。12歳。アルベリオーネ神父は、ジャッカルドの資質を見込んでアルバ神学校への入学を斡旋し、学費を負担した。
 1908年10月17日、アルベリオーネ神父の世話でアルバ神学校に入学します。アルベリオーネ神父はアルバ神学校の指導司祭兼教授となり、ジャッカルドの指導にもあたった。
 1912年10月、アルバ神学校の哲学科に進み、この年の12月8日に着衣しました。
 1915年11月、兵役に召集され、アレッサンドリアの衛生中隊に入隊しますが、翌年の1月7日には健康上の理由で除隊しました。
 1914年8月20日、聖パウロ修道会(小さい労働者印刷学校という形で発足)が創立され、ジャッカルドは1917年7月4日に聖パウロ会に入会しました。(21歳)この年の10月から、神学3年の課程を続けながら聖パウロ会の志願者たちのマエストロ(教師)を務めます。
 1917年に誓願を宣立。
 1919年10月19日、アルバで司祭に叙階されます。聖パウロ会で最初の司祭。ふるさとのナルツォーレで初ミサをささげ、臨終の母に聖体を授けました。
 1920年6月30日、誓願を更新し、この時「ジュゼッペ」から「ティモテオ」という修道名にした。このことについて、ジャッカルドは次のように記している。 「創立者は、私にテイモテオの名前を授けてくださいました。その理由は、第一に、この名前は私の霊的戦い、つまり『神を大事に思う』ことを表しているからであり、第二に、聖パウロに愛されたもっとも熱烈な弟子だからであり、第三に、私と創立者との関係が聖テモテと聖パウロの関係にそっくりだからです」と。
 創立者の心を自分の心とし、その片腕となってパウロ家族の創立のために奮闘した。
 1920年11月12日、ジェノヴァの聖トマス神学大学で卒業試験を受け、満点でパス。
 1921年~1926年、アルバ修道院の副院長と会計を兼任し、修道院内外の使徒職にも携わる。
 第一次世界大戦後の不況の中、彼は出版使徒職のための機材購入、住居や印刷工場の創設、志願者の養成などに従事した。また苦手の会計業務も行い、終始、借金の返済に頭を悩ました。
 1926年1月、数名の若者とともに、ローマ支部設立のために派遣され、その優れた人徳(特に謙虚さ、思いやりのある性格など)で教会当局者に好印象を与える。ローマ城壁外の聖パウロ大聖堂の近くに修道院を設立した。
 1936年、アルバ修道院の院長に就任。師イエズス修道女会の指導司祭にもなった。
 1946年10月、聖座付担当となる。
 1946年~1947年、師イエズス修道女会の聖座法による修道会昇格のために尽力。彼は教皇庁認可のために「自分の命をささげてもよい」と思ったほどです。
 1947年、体調を壊し、白血病と診断される。
 1948年1月12日、最後のミサをささげた日に、教皇が師イエズス修道女会の聖座法による修道会への昇格推薦状に署名。
 1948年1月18日、病者の塗油を受ける。
 1948年1月24日、聖ティモテオの記念日(現在は1月26日)に帰天。52歳。

 後に彼は福者になりました。とても物静かな人で、創立者のために献身的に働いた人です。創立者よりも彼が先に福者になったのは、書いた書物が少なかったので、調査が早かったのでしょう。もし福者か聖人になりたいなら、物静かな人の方がよいのかもしれませんね。
 さてジャッカルド神父が福者になるにあたり、奇跡の舞台になったのは日本の川口です。師イエズス修道女会のシスター・ルチアーナさんという方がいらっしゃいましたが、彼女は来日してしばらくして肺結核を患い、とても重い症状でした。医師にイタリアに帰った方がよいと判断されました。しかし、シスターたちが共同で、ティモテオ・ジャッカルド神父の取り次ぎを願いながら、9日間のノヴェナをささげました。不思議なことに彼女の肺結核は治癒いたしました。この検査をしたのは、カトリック信者であった木澤先生と未信者の先生でした。彼らがレントゲンをとって、明らかに肺結核であることを認めましたが、ノヴェナ後の検査では完全に治癒していました。二人の証言により、このことは奇跡として認められ、ティモテオ・ジャッカルド神父が福者になるための要因にもなっています。日本がその舞台になっているのは大きな恵みです。

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