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みことばの響き

心を受ける 復活第五主日(ヨハネ13・31~33a、34~35)

 とても印象に残ることばは「互いに愛し合いなさい」。「互い」とあるように、決して一方通行ではありません。両方向からの「互い」です。しかも「愛」について……。少々こじつけになるかもしれませんが、「愛」という字の真ん中に「心」という文字があります。それを引き抜いて残った字を考えると「受ける」に近い文字です。「愛」と言えば、何か人に物を与えたりする方向だけを考えがちですが、それで十分でしょうか。貧しい人や弱い人に「与える」ことで、相手よりも自分が高い地位にあるなどと錯覚したり、高慢心を呼び起こしたりはしないでしょうか。「与える愛」とともに、「受ける愛」もあるでしょう。

 哲学科(ラテン科の2年も含む)の4年間、福岡のサンスルピス大神学院でお世話になりましたが、夏休みが終わった後、よく年の黙想が行われました。その中で特に印象に残っているのは、パリ外国宣教会の徳山登神父さんの話です。

 神父さんが北九州のある教会で司牧をし、一人暮らしの75歳ほどになるおじいさんを訪問した時のこと。その方は数年前に奥様に先立たれ、わびしく暮らしていました。訪問すると、あまり部屋を掃除していない様子。生活のこと、教会のことなどを話していたら、おじいさんがお茶を準備してくれました。湯飲み茶碗に目をやるとちょっと汚れていました。でもそれを気にせず、神父さんはとてもおいしそうにお茶をご馳走になりました。するとそのおじいさんの表情は一変し、涙ながらにとても喜んでくれたそうです。たった一杯のお茶ですが、心地よく受けとめた神父さんの愛情が、おじいさんの心に響いたのでしょう。まさに「受ける愛」の典型的な形です。

 「互いに愛すること」。与える人がいれば受ける人もいます。受ける人がいれば与える人もいます。いずれにせよ、心地よく与え、心地よく受けるところに「互いに愛する」原点があるようです。

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