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信心のすすめ

煉獄について──信心のすすめ(21)

 「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。12この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、13おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。14だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、15燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。」(Ⅰコリント 3,10-15)

Ⅰ 煉獄とは、小罪もしくは、有限の罰を持ったまま、永遠の世界に移って行った、正しい人たちの霊魂がおかれているところであり、状態であります。彼らは、神の正義に対して負債をかえし終わるまで、苦しみ続けるでしょう。
 煉獄はまた、苦しみとなげきと涙、清めの火、ひとやの場所とも言われます。トレント公会議は煉獄について次のように言っています。「まったく、聖霊によって、教えられた教会は、聖書と聖伝に従って、煉獄は存在し、信者は、そこにとどまって霊魂を、特に、ミサ聖祭をもって助けることができると、教える」と。
 ユダ・マカベオの時代、神のほまれと、その民のために戦った戦争において、ヘブライの戦士たちも数多くたおれました。彼らを埋葬するにあたって、彼らの衣服の中に、偶像にささげられたある貴重な宝物が見い出されました。ヘブライ人の法律は、それを保存することを禁じていました。しかし、聖書からも明らかのように恩寵の状態で死んだ人もあったのです。ユダ・マカベオは、十二万の銀貨ドラクマを集め、エルザレムに送り、そして、これにの死者り罪のためのいけにえをささげてもらいました。「ところで、死者のために祈るという考えは、聖で救いに役立つ」ものであります。

Ⅱ 聖アウグスティヌスは、ある信者たちが、地上で大なり小なり執着していたことに従って、浄化の火から、多少なりとも早く、解放され救われる、と言っております。実に、すぐにも天国を得るために、よく生活を送る方法もあれば、非常に悪い生活を送って永遠の罰を受けるに価いする生活方法もあります。また、永遠の罰に価いしない人々がはたさなければならない有限の罰もあります。その原因には次のものがあります。すなわち、少なくともその罰がゆるされていない小罪、また、なまぬるい活気のない生活のため、神との完全な一致も直接に神を見ることも、天国に直接に入ることもできない場合、また、大罪はゆるされていても、まだ、そのつぐないを果たしていない人の場合、さらにまた自然的な傾きをもっていて、まだその傾きを克服してもいず、よく支配もできない人の場合などです。
 聖チェザリオ・アーレスは、もし私たちが地上で喜んで苦しまないならば、ちょうど木や枯れ葉や麻くずが燃えるように、すべてが清められるまで、煉獄にとどまらなければならない、と言っています。

Ⅲ わが神よ、私は幾度となく罪をおかしました。そしてつぐないをしょうとも思いませんでした。それにもかかわらず私は、信仰によってあなたは、いかなる善も、いかなる悪も忘れ去ることはない、と知っております。聖書には、「怠惰なことばさえも、裁きの火には、その決算をしなければならない。」(マタイ 12,36)と書かれているのです。

・糾明───自分の罪にふさわしいつぐのいをしただろうか。聴罪司祭が課した小さなつぐないをはたしただろうか。告解にあたり、制限づきで告解したのではなかろうか。まだ小罪を犯しつづけてはしないだろうか。息を引き取るやいなや、すぐに天国に入れるよう、熱心な生活をしているだろうか。

・決心───神への愛の火にもえたち、私は微温に打ち勝つようつとめよう。煉獄の火にやかれないため、地上で愛の火にもえたとう。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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