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信心のすすめ

聖パウロの回心──信心のすすめ(12)

 「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。13 以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。14 そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。」(Ⅰテモテ1,12-14 )

Ⅰ 聖パウロの回心は、典礼暦年において、特別な荘厳さをもって祝われる唯一の回心であります。それは1月25日にあたります。

 サウロもしくはパウロは、はじめは教会のはげしい迫害者でしたが、熱烈な使徒となりました。彼の回心は、奇跡的であり全体的であり、教会に有益なものであります。

 回心は奇跡的です。サウロはモーセの掟に心酔していたファリサイ人でした。イエス・キリストは唯一の神へのふさわしい礼拝を破壊する者、それゆえ十字架にふさわしい者と考え、キリスト信者もそれと同じ形にふさわしいと考えたのです。彼は若年にもかかわらず、ステファノの殉教にあたって、また、生まれたての教会を荒らすにあたって、重要な役割を演じていたのでした。『使徒行録』には次のようにしるされています。「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」

 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。」(使徒行録9,1-19)

Ⅱ 回心は全体的であります。

 すなわち、その精神も心も生活も。彼は神の唯一性を信じたのです。そしてここで聖三位一体を礼拝するのです。したがって、かって破壊者と考えていた託身された神のおん子をも礼拝するのです。その精神において、彼は、モーセの律法がキリスト教に、シナゴーグが教会に、ファリサイ主義が福音的聖性の完全さへとうつったのを見たのです。はじめは、イエス・キリストを憎んでいましたし、その全肢体のうちにイエスを迫害していました。のちには、ダマスコでさえも、イエスがキリストであることを証明しながら、すべての人を、キリストに獲得するため、ユダヤ人たちをやりこめていたのです。はじめは、心の狭いファリサイ人でしたが、今は、律法のわざによってではなく、イエス・キリストにおける信仰によって、救いの普遍性の使徒となったのです。

Ⅲ 回心は教会にもっとも有益でした。

 彼は「選びの器」(使徒行録9,15)となりました。こうして「すべての国々がそのみちみちたものを飲み、イエス・キリストが神のおん子であるということを学ぶであろう」ということばに従って、彼は「聖霊のみちたもの」となったのです。彼は他の使徒たちより多く働き、多くの教会を設立し、多くの国々をローマに集めました。彼の名前は、聖ペトロとともにいつも見い出され、聖ペトロは権威において、聖パウロは活動において、教会の二つの柱となったのです。両者とも、イエス・キリストの神秘体である教会の育成のために働き、両者とも殉教したのです。

・糾明───私の神への回心はどうだっただろうか。すばやいものだっただろうか。全体的であっただろうか。精神と心と生活において確固たるものだっただろうか。人々のために有益だあっただろうか。
・決心───私は毎日、「救い主なる神よ、私を回心させてください」と祈ろう。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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