この箇所が朗読されるとクリスマスも近いなあと感じます。イエス・キリストの誕生までの経緯が語られ、まさに主の降誕の最終準備に入ります。
ここでまず注目したいのは、「母マリアはヨセフと婚約していた」(マタ1・18)ことです。ユダヤの掟によれば、少女と男性との婚約が確定すると、男性は彼女の父または保護者に、彼女を失うことに対する補償金や花嫁の代金を支払っていました。この時から少女は婚約相手の男性の権力下に入り、男性は彼女の夫となりました。こうした婚約の時期に、もし彼女が他の男性と性的関係を結んだ場合には姦通罪に問われ、離縁状が出されることになります。また男性が亡くなった場合には、彼女はやもめとなりました。さらに夫婦間の性的交わりは、男性が正式に「妻を迎え入れる」(マタ1・24)まで、許されていませんでした。
ところが、ヨセフはマリアを迎え入れる前に彼女が身ごもっているのが分かります。マリアが姦通罪を犯しているのであれば、彼女は死刑に処せられることになります(申22・23~24)。また夫ヨセフは、彼女を告発することもできましたが、「正しい人」であったので、彼女を告発することなく、マリアが「聖霊」によってみごもっていることを受け入れていきました。当初、ヨセフはマリアを表ざたにすることを望まず、ひそかに縁を切ろうと考えていきましたが、天使から告げられたことを素直に受け止め、マリアの心をしっかりと思いやっていきました。ヨセフにとってはとても驚嘆すべきことでしょうが、信仰をもって受け入れていきます。彼の寛大な心と勇気ある力がとても響いてきます。
自分の権利だけを主張したくなる時代ですが、ヨセフの心にはマリアを思いやり、いたわる精神がみなぎっています。そんなヨセフの寛大さと勇気を私たちも学びたいものです。
