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マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

30. 最初のグループの私的誓願――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

 一九一五年(大正四年)聖パウロ会創立の翌年に、九名の志願者たちは、ピアッツァ・ケラスコの修道院から、アルバ郊外のモンカレット(Moncareyyo)という大きな屋敷へ移転した。印刷所だけは、一九二一年に聖パウロ会の最初の修道院が出来るまで、最初に印刷学校を開いた場所にあった。

 一九一五年(大正六年)に、先に述べたジャッカルド神学生がアルベリオーネ神父の導きで、アルバ神学校から聖パウロ会の「印刷学校」にはいってきた。賢明で信心深く、謙遜であったので、みんなの生活の手本となり、学科の教師にもなった。

 一九一七年十二月八日(無原罪の聖母の祝日)には聖パウロ会の歩みの中で修道会創立に次ぐ、第二の画期的出来事があった。それは最初のグループ五人がひそかに私的誓願を立て、全生涯を聖パウロ会のためにささげたことである。その中の一人ティト・トルクアトは、兵役についていたのでノヴァラで私的誓願を立てた。

 その日、アルベリオーネ神父は事の重大さを理解させるために、司祭の権威を示す短白衣とストラをつけ、全員を一堂に集め、そこに無原罪の聖母像を運ばせて、次の話をした。

 「きょうは、とってもだいじな話をしたいので、この短白衣とストラを着たままだ。私たちは、たびたび良い出版物を広めることの必要について考える。出版の分野でたくさんの人が働くが、ある者は名誉のために、ある者は利潤のために、ある者は好きだから、時間とエネルギーをこれにさいている。

 しかし、私たちが働きたいのは、趣味のためでも、名誉のためでも、利潤のためでもない。ただ神のみ栄えと、社会におけるイエス・キリストの勝利がほしいだけだ。きょうは歴史に残る日なのだから、あとではいってくる人びとが、この会のそまつな始まりを知ることができるよう書きとめておかなければならない。私たちの誉れのためでない。それを見て人びとは、神が、ご自分の大事業をお果たしになるために、いちばん、つまらない人間をお選びになる、ということを知るだろうから。

 この会ができたのは、私の力ではない。聖パウロが聖母が神に祈ってくださったからこそである。

 創立の日以来、たびたび、ずいぶんひどいあらしに会った。私たちは、みんな、だが特に私は非難され、司教のもとにまで訴えられて……もう何もかもだめになってしまうと思われるようなひどい危機もあった。だが、神は助けてくださった。

 ローマ(教皇庁)にも訴えられた。もし、司教が、あれほど精力的で常識のあるお方でなかったら、どうなっていただろう?

 市長や県知事にも訴えられた。善良な人びとともたびたび無理解のために悪口を言った。あなた方自身、みな入会する前に、この会についての批判を聞いたことは私は知っている。あなた方のうち何人も、ひどい困難と戦って入会したのだ。だが、このような試練は、私たちがいつも謙遜であるために必要だった。この事業での主人公は神ご自身だということを私たちに思い出させるためにひ必要だったのだ」と。

 とくに最初の四人は、創立者の精紳によく従い、寛大に、ねばり強く修道生活をしていた。コスタは出版物の普及にあたり、ティト・アルマニは、志願者を監督し、マルチェリーノは、植字長をし、アンブロジオは機械長をしていた。

 のちにコスタはスペインに、チィト・アルマニはアルゼンチンに、マルチェリーノは日本と韓国に聖パウロ会を創立した。この四人についてアルベリオーネ神父は、こう述べている。

 「私がぜひ言っておかねばならないのは、この四人が非常に寛大で、大変できのよい人たちであったことである。ほんとうに聖霊がこの人たちのうちに働いていた。信仰と神への愛にのみ聖パウロ会の初期の人たちは支えられていた。私の生涯において、これほど信心、徳、奉献にすぐれている人を見たのは、ごくまれである。」

 アルベリオーネ神父は志願者たちを勇気づけ、これに夢を持たせるために、聖パウロ会の将来について、しばしば次のような預言的な発言をした。

 「高い所を眺めなさい! 頂上の見えない大きな木、これが私たちの修道会である。本当に大木である。(彼は木とか根のたとえをしばしば出すが、これは、福音にあるブドウの木と枝、カラシ種のたとえにヒントをえたことによるし、また自分の名が、「大きな木」という意味のアルベリオーネだったからでもあろう。)みなさんは、その根である。今の時点での聖パウロ修道会は、将来全世界に広がる大木の根にほかならない……」そして志願者たちを生命に溢れた信心―と指導していた。「聖体は、本会全体の中心であり、基礎であり、その中に現存する聖師の輝きであり、すべての活動の原動力である……」と。

 さらにアルベリオーネ神父は、こう説いていた。「出版事業は、最も深い、非凡な謙遜の上に築かねばならない。出版の宣教者たちは、ブドウの枝のように、道・真理・生命である聖師イエス・キリストにつぎ木され、使徒の女王聖マリアから養成されながら、自分たちの使徒職を果たして行く。さらに本会の保護者であり、父である使徒聖パウロと心を合わせ、守護の天使に助けられながら、その使徒職を行なう。特別の信心としては全教会の保護者聖ヨゼフと煉獄の霊魂への信心を実践する」と。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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