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カトリック入門

「カトリック入門」 第50回 ヨハネとヨハネによる福音書【動画で学ぶ】

*ヨハネは神学者、著作家、ワイン醸造業者などの保護者

ヨハネについて
ヨハネのふるさとは、ガリラヤ湖の湖畔にあるベトサイダであった。父ゼベダイはすでに亡くなっていて、母サロメ、兄ヤコブとの三人で暮らしていた。漁業に従事し、兄ヤコブと共にイエスに従った。母サロメはベトサイダの家を空け、聖母マリアや数人の婦人と一緒にイエスに奉仕したと言われる。こうして一家全員がイエスの弟子となった。兄弟二人とも激しい性格があり、「雷の子ら」とも呼ばれていた。

やがてペトロと共にイエスの親しい弟子となり、ヤイロの娘の治癒に立ち合い、主の変容の際には、身近で見ることができた。

最後の晩餐の席では、イエスの胸に寄り添い(ヨハ13・23)、イエスの気持ちを深く知ることができた。イエスの十字架では、聖母マリアと共に、足元にいた。イエスは母マリアをヨハネに委ね、「見なさい、あなたの母です」(ヨハ19・27)と語る。イエスの死を間近で目撃した。

復活の場面でもペトロと共に行動していく。

ヨハネは聖霊降臨の後、他の使徒たちと同じように、エルサレムにとどまった。

パウロの死後、ヨハネはエフェソの司教として数十年の間、小アジアの教会の牧者となった。

ヨハネには多くの弟子がいて、その中にはスミルナのポリカルポ司教、その弟子のイレネウス、パピアス司教などがいる。

ヨハネはドミチアノ皇帝の時代に逮捕され、ローマに送られた。有罪の判決を受け、処罰されるが何の害も受けることがなかったという。やがてパトモス島に流された。紀元96年にドミチアノ皇帝が亡くなり、ヨハネは自由の身となり、エフェソに帰ることになった。追放という労苦と高齢のために思い通りにいかなくなった。十二使徒の中でも最も若く、長生きした。エフェソで帰天し、九十五歳だった。

ヨハネ福音書
ヨハネ福音書の著者は、使徒ヨハネであるとされてきた。この最初の証言は、二世紀後半のリヨンのイレネウスであり、「最後に、主の弟子であり、その胸の近くにいたあのヨハネが、小アジアのエフェソで住んでいた時、福音書を公にした」と述べている。同時代のアレクサンドリアのクレメンスもこの福音書の著者をヨハネとした。しかし、現代では「名前だけの著者」と「実際の著者」とを区別して考える。この考え方によれば、「実際の著者」は、ヨハネの思想を受け継いだ弟子、あるいはヨハネの弟子グループに属する人物だと考えられている。

この福音書がまとめられたのは、90年から110年の間と推定される。

ヨハネ福音書は、語彙がとても貧弱で、共通語も少ない。この福音書で出てくる語は、「証し、しるし、光、栄光、霊、命、真理、道、世、見る、信じる、留まる」などである。用語は乏しいが、内容的にはとても高い。

内容として、イエスと信者との一致、父と子との一致の反映であり、信者どうしの兄弟愛による一致。

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