私たちは、どのような時に「恐れ」を感じるでしょうか。ただ単に怖い時、自信がなく、不安の状態のまま何かをやらなければならない時、未知なるものに挑戦する時などさまざまな状態の時に「恐れ」を感じることでしょう。私たちは、この恐れをなくすための一番の早道は、三位一体の神を信頼するということを知っています。この恵みに感謝しながら歩んで行くことができたらいいですね。
きょうのみことばは、イエス様が12人の弟子たちを宣教に派遣するにあたって起こるかもしれないことへの注意を促す場面です。きょうのみことばは「人々を恐れてはならない。」というイエス様の言葉で始まっています。なぜ、イエス様は、これから宣教に出かけようとする弟子たちに「恐れるな」と言われたのでしょう。
この言葉の前にイエス様は、「弟子がその師のように、僕がその主人のようになるなら、もし家の主人がベルゼブルと呼ばれたなら、その家の者たちは、なおのことひどく言われる」(マタイ10・25)と言われています。このベルゼブルというのは、「カナンの神の名称」ですが、人々はイエス様のことを蔑称してこのように言ったのでしょう。イエス様は、ご自分がどのような最期を遂げるかをご存知でしたし、その弟子も周りから迫害を受けるということをご存知だったのです。それで、イエス様は、弟子たちに「恐れるな」と言われたのです。
イエス様は、恐れている弟子たちに、「覆われているもので現れないものはなく、隠されているもので知られないものはない。」と言われます。このことは、弟子たちの小さな行いであって、それが大きな実りとなることを言われているのではないでしょうか。当時の弟子たちは、他のユダヤ教の人々に比べると弱小のグループだったようです。ですから、彼らの宣教は、周りの人から見ると「覆われ、隠された」ように見えたのでしょう。私たちにとっては、僅かな善意が周りの人に大きな恵みをもたらす何かになることになるのです。
イエス様は、「わたしが暗闇であなた方に話すことを、明るみで言いなさい。また、耳元でささやかれたことを、屋根の上から宣べ伝えなさい。」と言われます。この「暗闇」というのは、「暗い所」という意味ではなく、イエス様との個人的なつながり、という意味のようで、私たちの祈りの場と言ってもいいかもしれません。私たちは、個人的に祈るとき騒がしいところではなく、心が静まる所へ行きます。イエス様は、そのような時に、耳元でささやきかけられます。イエス様の声は、「ささやく」ように小さい声です。私たちはその声に気づくためには、心の中に【静けさ】を持つ必要があるのです。
イエス様は、私たちに耳元でささやきかけたことを、屋根の上ですから、屋外に出て伝えなさいと言われているのです。私たちは、イエス様が語られたことを周りの人に伝える時、かなりの勇気が必要なこともあります。それは、時には周りの人から蔑まれ、理解されないこともあるでしょうし、時間や労力を割くことにもなることでしょう。それでも、イエス様は弟子たち(私たち)に「宣べ伝えなさい」と言われるのです。
イエス様は、「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れることはない。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」と言われます。このことは、私たちに「誰を恐れるべきか」ということを教えられているのです。わたしは、『ボンへファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』という映画を観ました。彼は、牧師としてヒトラーの行いが神の道から逸れている、と教会に集っている人に説教します。彼は、ナチスに捕らえられ処刑されるのでが、最後まで周りの人にイエス様のことを伝えました。まさに、彼はイエス様のこの言葉を実際に行った人だったのです。
イエス様は、「2羽の雀は1アサリオンで売られているではないか。……だから恐れることはない。あなた方は、多くの雀よりも遥かに優れたものである」と言われます。雀は、価値がない鳥で1匹では売れなかったようです。イエス様は、周りからは相手にされないような人(弟子)であっても、おん父は、その人を心から愛していると言っておられます。
イエス様は、「人々の前で、わたしの味方であると宣言する者すべてを、わたしもまた、天におられる父の前でわたしの味方であると宣言する。」と言われます。当時は、イエス様を救い主と言うことは、ユダヤ社会の中で禁じられていましたし、破門されていました(ヨハネ9・34参照)。イエス様は、そのような場合でもご自分の味方であると宣言する人に対して、おん父に「わたしの味方であると宣言する」とお約束されたのです。
私たちは、このように三位一体の神から愛され、みことばを述べ伝える使命をいただいています。時には、周りからの非難や冷たい視線を感じることもあるかもしれません。それでも、私たちは、イエス様が味方をなってくださり、必要な恵みをくださることを信頼しながら【恐れることなく】みことばを伝えることができたらいいですね。
