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カトリック入門

第214回 罪について【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

1 あわれみと罪
*福音とは、罪びとに対する神の憐みについての、イエス・キリストにおける啓示です。天使はヨセフに、「その子をイエスと名づけなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタ1・21)ということばで、福音を告げています。贖いの秘跡である聖体の秘跡も、やはり福音なのです。「これは、罪がゆるされるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マタ26・28)
*神は「あなたをあなたなしにお造りになりましたが、あなたなしにあなたをお救いになることはありません」。神のあわれみを受けるためには、私たちは自分の過ちを告白することが必要です。「自分に罪がないというなら、自らを欺いており、真理はわたしたちのうちにありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪をゆるし、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(一ヨハ1・8~9)。
*聖パウロが断言するとおり、「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ち溢れました」(ロマ5・20)。しかし、恵みがその働きをまっとうするためには、わたしたちを回心させ、わたしたちに「わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠のいのちに導く義」(ロマ5・21参照)を授けるために、罪を明るみに出さなければならないのです。傷の手当てをする前に調べる医者のように、神は、みことばと霊とによって、罪をありありと照らし出されます。

2 罪の定義
*罪とは、理性や真理、そして正しい良心に背く過ちです。また、あらゆるものへのよこしまな愛着による、神や隣人に対する真の愛の欠如です。罪は人間の本性を傷つけ、その連帯を損ないます。罪は「永遠の法に背くことばや行い、あるいは望み」いう定義がなされています。
*罪は神に対する侮辱です。「あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯しまし、御目に悪事を見られることをしました」(詩編51・6)。罪は、私たちに対する神の愛の逆らい、わたしたちの心をその神の愛から遠ざけます。人祖の罪のように善悪を知ったり定めたりして「神のように」(創世記3・5)なることを意図する、神への不従順であり、反抗です。したがって、罪は「神を無視するほどの自己愛」なのです。この高慢ゆえに、罪は救いをもたらされたイエスの従順とはまったく正反対のものなのです。
*キリストの憐れみが罪に打ち勝とうとしているまさに受難の時に、不信、凶悪な憎悪、指導者たちや群衆による排斥と嘲笑、ピラトの卑怯さと兵士たちの残忍さ、イエスにとっては非常に悲しいユダの裏切り、ペトロの否認と弟子たちの逃亡などというさまざまな罪がその暴力を最高度に現します。闇と世の支配者の時であるまさにこの時、キリストの犠牲はひそかに、私たちの罪のゆるしが尽きることなくわき出る泉となるのです。

3 罪の種類
*罪の種類は実に多く、聖書はそのいくつかのリストを挙げています。ガラテヤの信徒への手紙は、肉のわざを霊の実に対立させています。
 「肉のわざは明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像崇拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません」(ガラ5・19~21)。

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