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カトリック入門

【カトリック入門】第105回 教皇ヨハネ23世【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

序)教皇ヨハネ23世というと、第二バチカン公会議を開催した教皇として名高い。この時、80歳を超えていた。

1)ヨハネ23世の足跡
*彼は1881年11月25日、イタリアのベルガモに生まれ、貧しい農家出身。名前は、アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカリ。
*1892年、ベルガモの教区の小神学校に入学し、1901年、ローマのアポリナーレ大神学校に入学し、ベニーニにもとで教会史への関心を深める。1904年に神学博士号を取得、同年8月に司祭に叙階された。
*1905年~1914年、ベルガモ司教のもとで秘書として働き、社会的視野を持った司教に仕えながら、労働問題への認識を深めた。
 1906年から教区の神学校教授として教会史、護教論、教父学を担当し、教区内の女性たちの活動や種々の委員会にも参加し、政治問題にも触れた。
*1915年、イタリアが第一次世界大戦に加わると、衛生看護軍曹、従軍司祭として野戦病院に配属された。戦後、女性や青年たちの司牧に務め、1918年にはベルガモ神学校の霊的指導司祭に任命された。
*1921年、教皇ベネディクト15世に呼ばれ、イタリアでの宣教事業後援会の中央評議会議長となり、ヨーロッパ諸国を視察、新教皇ピオ11世のもとで、教皇自発教令の草案起草にあたった。1924年、ラテラノ大学教父学教授となった。
*1925年3月3日、アレオポリス名義大司教およびブルガリア教皇視察官に任命された。ブルガリア正教会とカトリックとの関係調整に尽力した。この働きにより、1926年、ソフィアにカトリック東方典礼信徒のための使徒座総主教代牧区、1931年1月、教皇使節館が開設され、彼は初代の教皇使節となった。
*1934年11月、トルコおよびギリシアの教皇使節に任命され、1935年1月、イスタンブールに赴任し、東方教会とカトリックとの融和に努めた。1937年には、アテネに駐在した。1941年~1944年、ギリシアが戦禍に見舞われ、食糧・医薬・衣料などの調達に務め、ギリシア在住のユダヤ人のために尽力した。
*1944年12月、ピオ12世よりフランスの教皇大使に任命される。戦後、フランスにいる枢機卿・大司教・司教の過半数がドイツ軍に協力した理由で、政府から33名の辞任が求められた。しかし、これを3名だけに限るように交渉した。フランスでは労働者の家族に対する救援、フランス人戦犯やドイツ人捕虜の解放についても積極的に呼びかけた。
*1953年1月12日、ベネツィアの枢機卿に親任され、在位5年間に30の小教区、一つの神学校の設立、サンマルコ大聖堂の修復にも尽力した。
*ピオ12世教皇が亡くなり、1958年10月28日の教皇選挙で新教皇に選出された。この時、「ヨハネ23世」を名乗った。「身をもって善い牧者の真の姿を具現したい」と抱負を述べた。最初の仕事として、1944年以来、空席であった国務長官を任命し、東方聖省長官を任命して、教皇庁の現代化を目指した。また枢機卿団の刷新をはかり、これまで52人だったのを最終的には、87人にした。
*1959年1月25日、枢機卿会議の席で公会議の開催、教会法典の改訂などを表明した。1960年6月には、キリスト教一致推進秘書局を設置し、1963年4月11日、「パーチェム・イン・テリス」を発表し、全世界の平和を呼び掛けた。

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