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霊的生活と伝道:パウロ宣教の核心 Colombo Guido Timoteo

要約
「誰も、自分が持っている以上の権利を他人に譲渡できない」という原則は、法の基本原則を表し、ウルピアヌスによって提唱されました。この原則は、パウロ会やパウロ家族にとって、霊的生活と使命活動の一致を追求する上で重要です。アルベリオーネ神父は、使徒パウロを模範に、真の福音宣教は深い霊的基盤から生じると教えています。聖体と聖書は、この使命を果たすための核心です。

 「nemo plus iuris in alium transferre potest quam ipse habet(誰も、自分が持っている以上の権利を他人に譲渡することはできない)」という格言は、民法の原則を表しており、自分が持っていないものや自分の権利よりも大きな権利を他人に移転することはできないということを意味しています。これは、「nemo dat quod non habet」(誰も自分の持たないものを与えることはできない)という言葉で表されている原則を具体化したものです。

 この言葉は、ローマの法学者ウルピアヌスに由来し、ユスティニアヌス法典の「法の規則」に収録されています(D. 50.17.54: Ulpianus libro XLVI ad edictum)。

 この原則を思い起こすことは、パウロ会やパウロ家族の構成員一人ひとりが、真の「パウリスト」と呼ばれるためには、霊的生活と宣教活動のより大きな一致と補完性を求めて生きる必要があることを強調する上で、非常に重要です。

 アルベリオーネ神父が志したパウロ会とパウロ家族は、使徒パウロの生涯と業績に絶えず注目し、同神父自身が「現代に生きる使徒パウロの社会的な体現」(1954年10月号のサンパウロ誌)と定義したように、使徒パウロを体現する存在でなければなりません。霊的生活は、本物の福音宣教の不可欠の基礎です。前述の「誰も自分の持たないものを与えることはできない」という格言は、パウロ家族の一員全てに対する絶対的な要求として響きます。なぜなら、これは福音のメッセージを他者と分かち合う前に、深く生きる重要性を強調しているからです。

 偉大な宣教者パウロは、ただ熱心に福音を説いただけでなく、自らの日々の生活の中でその真理を体現していました。彼は愛と思いやりについて語るだけでなく、自身の行いと言葉の一つ一つにそれらの価値観を具現化する生き方をしていました。同様にアルベリオーネ神父は、本物の福音宣教は信仰の表面的な経験から生まれるのではなく、キリストへの根本的なコミットメントと深い一体化を必要とすることを理解していました。

 キリスト御自身から学ぶ霊的生活こそが、パウロ的使命の核心です。キリストとの個人的な出会いを存在の中心に据えた者だけが、真に福音の美しさと真理を他者に伝えることができます。この出会いは過去の出来事ではなく、キリストとの関係を絶えず新たにし、深める継続的な回心のプロセスなのです。

 キリストのみ教えに従い、御言葉を黙想し、祈りの中でキリストから学ぶということです。また、特に聖体拝領と告解という教会の秘跡を熱心に生きることで、キリストとの交わりを常に養い、新たにすることでもあります。

 この点で、日々のミサ聖体訪問は、御師から直接「み言葉」ではなく「み言葉であるかた」そのものを学ぶ時間として捉えることが不可欠です。聖体訪問は「パウロ的信心の特徴」であり、キリストと出会う格別の場なのです。聖体訪問こそが「私たちが持っているもの」であり、「他者に与えることのできるもの」つまり、霊的・宣教的に確実に効果的な唯一の二つの要素、聖体と聖書の結びつきなのです。アルベリオーネ神父は言っています。「聖体と聖書が、出版宣教者を形作る。この二つのものが、あなたがたの心の中で不可分のものとならなければならない」(Giacomo Alberione, Alle Figlie di San Paolo, 1941, p. 137; cfr. Vademecum, cit., 1058)。

 このような深い霊的生活に浸っている時はじめて、本物の福音宣教の道具となれるのです。真摯に生きられた信仰の個人的な証しには、どんな理性的な議論も決して及ばない魅力と説得力があります。説教と生活の一貫性があれば、福音のメッセージを効果的に伝えることができるのです。

 さらに、濃密な霊的生活は、福音宣教の仕事に付随する避けられない課題や困難に立ち向かうために不可欠です。信仰に根ざしている者だけが、道行きの誘惑、迫害、失望に耐えることができるのです。

 真のパウロ会の修道者は、パウロ聖人とアルベリオーネ師の模範に従い、まずキリストから学ぶ濃密な霊的生活を送らなければ、本当の福音宣教者にはなれません。福音の恵みを個人的に体験した者だけが、それを説得力をもって他者に伝えることができるのです。だからこそ霊的生活こそがパウロ的使命の核心なのであり、それがなければ、福音宣教は生きた効果的な良い知らせの宣べ伝えではなく、空虚な レトリックに過ぎなくなってしまうのです。”Veritas in interiore homine habitat!(真実は人の内側に住む)” (アウグスティヌス 『真の宗教について』XXXIX, 72)

Colombo Guido Timoteo(イタリア管区、司祭)

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