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月刊澤田神父

創立者・福者アルベリオーネ神父による 聖パウロ修道会・パウロ家族の歩みの振り返り【月刊澤田神父 2023年10月号】※字幕付き

創立者・福者アルベリオーネ神父による聖パウロ修道会・パウロ家族の歩みの振り返り──『AD』1954年創立40周年にあたっての記述──

『Abundantes Divitiae Gratiae Suae』(=豊かな恵みの富)

 11月26日に、わたしたち聖パウロ修道会・パウロ家族は固有の典礼暦の中で、創立者・福者ヤコブ・アルベリオーネ神父を祝います。この日はアルベリオーネ神父が帰天した日です。アルベリオーネ神父が亡くなったのは1971年でした。

 さて、アルベリオーネ神父は、1954年の創立40周年にあたり、準備委員会からこれまでの歩みについて記念誌に寄稿するよう依頼されました。最初、アルベリオーネ神父は依頼を断りますが、後にメモ書きのような原稿を準備委員会に渡しました(記念誌には間に合いませんでした)。これらの原稿は後にまとめられ、エフェソ書2・7を引用して『Abundantes Divitiae Gratiae Suae』(=豊かな恵みの富、以下AD)というタイトルが付けられました。
 創立者アルベリオーネ神父がそれまでの歩みを振り返って、まず記すのは自分が何をしたかということでも、修道会が何をしてきたかということでもありません。神が何をなさったかということです。だから、この書物ADの冒頭で次のように記します。

「もしかれが(アルベリオーネ神父はこの書物の中で自分のことを三人称で記します)あなたがたに譲歩してその願いに応じるために、自分がいまだに記憶にとどめており、あなたがたがパウロ家族に役立つと信じ込んでいる事柄を物語ろうとするなら、当然かれは次のような二重の歴史を物語らなければなるまい。《天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ》の美しい賛歌をうたうために、神の歴史を物語り、次いで、神のきわみない愛にふさわしく答えなかった面目ないない歴史を物語って、《かずかずの怠り、罪、そむきのゆえに》、痛悔にみちた新しいミゼレレを作詞する必要がある」(AD n.1)。

 神の偉大なわざ、その一方でそれに答えることのできないわたしたちの罪や怠り。しかし、その中にあっても、アルベリオーネ神父は神の愛とゆるしに信頼して歴史を振り返ります。そして、エフェソ書2・5-7を引用したうえで、「神はよいお方なので、イエス・キリストによって、パウロ家族にあふれるばかりの恵みの富を与えてくださった」(AD n.4)と記すのです。現実には、いろいろな困難や問題があったことでしょう。それでもこの歩みを振り返ったとき、アルベリオーネ神父にとっては神の「あふれるばかりの恵みの富」に満たされた歩みだったのです。

 ただし、アルベリオーネ神父はこの「恵みの富」がわたしたちパウロ家族のためではないことを、すぐに記します。「それは、地上の新しい神の使いである修道者によって、その富が代々にあらわされていくためである」(同上)。

 そして記します。「すべては神からのものだ。だから、すべてはわたしたちをマニフィカト(マリアの賛歌)の精神に導く」(同上)。

 わたしは、自分がこれまでの歩みを振り返り、現在の歩みを見つめたときに、このような視点で振り返ることができているかどうかを考えます。アルベリオーネ神父が記す「二重の歴史」という視点を大切にしながら生きていきたいと思います。

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