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みことばの響き

息を吹きかける 復活節第2主日(ヨハネ20・19~31)

 かれこれ40年前になるでしょうか、私の祖母が亡くなりました。小学生・中学生の時、早朝ミサに参加して、祖母の家に立ち寄り、それから自分に家に帰っていました。冬の寒い日にはいつも囲炉裏に火を起こし、餅などを焼いて食べさせてくれ、体が暖まったところで家に帰っていました。祖母はとても働きもので、養鶏場の卵拭きを毎日毎日手伝い、亡くなる2週間前まで手伝っていました。臨終に立会いましたが、十字を切り、最後は大きく息を吸って静かに吹き、そして天に召されていきました。その姿を見ながら、人生最期は「息を吹きかける」のだと思いました。

 イエスの死の場面ではどのように描かれているでしょうか。「イエスは、このぶどう酒を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた」(ヨハネ19・30)と記されています。もともとの意味は「霊をお渡しになった」で、イエスが聖霊をキリスト者たちに与えられたことを意味するものです。「霊」(プネウマ)が「息」「風」をも意味するように、「息をお渡しになる」「息を吹きかける」行為と共通するものです。

 創世記において「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2・7)とあります。「息を吹き入れる」ことで生きる者となる。今日の福音で、イエスは弟子たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と語ります。ここでも弟子たちが新たに生きていく姿勢が感じられます。

 息を吹きかけることによって弟子たちは生き生きとしたものになっていきます。「息」は「生きる」ように。聖霊の恵みが種々の形で与えられていることを私たちは感じとっていきましょう。

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