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みことばの響き

もてなし 年間第16主日(ルカ10・38~42)

 今日の三つの朗読を網羅する用語はギリシア語の「ディアコニア」ですが、それは「給仕」「奉仕」「もてなし」の意味があります。

 今日の第一朗読でアブラハムが三人の旅人に給仕します。彼は自ら仕える者となり、彼らのためにパン菓子、子牛、凝乳などで奉仕します。そのかいあって妻のサラには神様から男の子が授かるようになります。また第二朗読では「神は御言葉をあなたがたにあますところなく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました」(コロ1・25)。ここにも教会への「奉仕」が見られます。

 福音では、マルタがせわしく働きます。一方、マリアはイエスの話をひたすら聞きます。イエスは二人の行動に対して、「マリアはよい方を選んだ」と語ります。働くことが美徳と思われ、マルタが評価されてもおかしくありませんが、イエスはマリアの方を選びます。ほんとうの「もてなし」とは何だろうかと考えさせられるのではないでしょうか。

 さて日本人の「もてなし」は世界一ではないかと思ったりします。レストランに入るとおしぼりが出たり、暑い季節になると涼しさをかもし出すため、窓際に風鈴が置かれたりします。行き届いた心配りや他の国にはないもてなしの美しさに心を打たれたりします。

高校は男子校で学びましたが、お茶の授業がありました。その作法において、茶碗の温め方、お茶の点て方、飲み方、茶碗の拭き方、和室での歩き方、花の生け方など、一つひとつの動きに、もてなしの基本が息づいているように思いました。

 日本の社会は忙しく、神のことばを聞く余裕がないような時代かもしれません。そんな時代だからこそ、もてなし、心のゆとり、聞く大切さを重宝したいものです。

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