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伝統的釈義と現代の釈義の相克

5. 合本化の過程で明らかになった点(3)――伝統的釈義と現代の釈義の相克

3.本文批判校訂上の問題

 これよりももっと大きな問題は、これまでの分冊が当時の研究成果を取り入れたものであったこと、つまり、フランシスコ会聖書研究所が刊行してきた翻訳の特徴として「原文校訂による口語訳」とうたっているところにあります。つまり、底本を定めてそれを忠実に翻訳するということではなく、最新の聖書研究の成果を踏まえて本文批判したうえで翻訳するということです。その結果、従来慣れ親しんできたのとは違った本文となっている箇所があるということです。早くから指摘されていたのが『詩編』でした。『シラ書』でした。合本が企画され、それぞれの書の見直しをしていただくことを聖書研究者たちに相談したおりに、何人もの方から『詩編』をどうするの、分冊の詩編はDahoodの解釈に依存し過ぎている、Dahood自身が自分の死後、幾つの自説が残るだろう、ごく少ないかもと言っていたんですよ、と言われました。わたしは聖書の専門家でなかったのでDahoodって誰、といった感じでした。彼は英語で出されたAnchor Bibleという膨大な聖書研究書のシリーズで『詩編』を担当した方でした。

 いくつか例をあげてみましょう。

『詩編』
 たとえば詩編36の10節に「命の泉はみもとにあり、あなたの光のうちに、わたしたちは光を見ます」とあります。「世の光」「光からの光」である御子キリストを通して「近づくことのできない光の中に住んでおられる」(一テモテ6・16)御父を見ることであると、教父たちが好んで解釈した箇所です。ところが分冊では「いのちの泉はみもとにあり、あなたの野にわれらは光を見る」となっています。
 これまた馴染みの「ヒソプをもってわたしをきよめてください。わたしはきよくなるでしょう。わたしを洗ってください。雪より白くなるでしょう」という詩編51の9節も分冊では「わたしから罪を取り去ってください、わき水よりも清くなるでしょう。わたしを洗ってください。雪より白くなるでしょう」となっています。

分冊 詩編
詩36:10「いのちの泉は みもとにあり あなたの野に われらは光を見る。」
 注(6) 「光」は人を至福にする神の顔の輝きをさす。「野」(神話の理想郷の概念に符合する)は前節の「家」に平行するものである。
9節は「あなたの家の 味よきものに満ち足りる。あなたは 喜びの流れを かれらに飲ませる。

詩51:9 「わたしから罪を取り去ってください、わき水より清くなるでしょう。わたしを洗ってください、雪より白くなるでしょう。」
 注(3) 伝統的な訳は、「ヒソプをもってわたしを清めてください。わたしは清くなるでしょう」。本訳では、母音を一字変えて「わき水」と読み、後半の「雪」の平行句と解した。

『シラ書』
 もう一つの例は『シラ書』です。分冊ではときどき節が欠番になっており、その部分は欄外の注で訳出されています。これは底本としたジーグレル版を用いたことによります。シラ書に関してはもう一つの点が挙げられます。第二正典として取り扱われてきた同書はヘブライ語原本から著者の孫がギリシア語に翻訳したのもので、ヘブライ語原本は失われてしまったと考えられてきました。ところが一八九六年にカイロのユダヤ教会堂の廃本貯蔵室で同書の三分の二を占めるヘブライ語写本が発見され、さらにその後もいくつかの断片が発見されました。それらとの比較の結果、ギリシア語訳はヘブライ語からの直訳というよりはギリシア語圏の読者に分かりやすいものとしていること、またかなり不正確な写本を底本とし、誤訳も多々あることがわかってきました。分冊では、欄外の注にヘブライ語版からの翻訳が載せられています。

シラ書
三一・12—-24 宴会での作法[食べ物とぶどう酒のしつけ]

12豪華な食卓についたなら[子よ、お前は、偉い人の食卓につくならば]、
 口をぽかんと開けるな。
 「何と大層な御馳走だ」と言うな。
13もの欲しげな目は悪であると心得よ。
 造られたもののうち、目よりも悪いものがあろうか[神は目よりも悪いものをお造りにならなかった]。
 それ故、目はどんな時にも涙を流す[それで、目はあらゆる場合にいらだつ]。
14目に触れるすべてのものに[主人が見ているほうに]手を差し伸べるな。
 隣の人を押しのけて皿[かご]に手を出すな。
15隣の人のことを自分のことのように思い[隣人を自分と同じように考え]、
 すべてにおいて思慮深く振る舞え[お前のきらいなことを思い出せ]。
16お前の前に置かれたものを人間らしく[教養のある人らしく]食べよ。
 音を立てて食べる[むさぼり食う]な。さもないと、お前は嫌われる。
17礼儀を心得て、誰よりも先にはしを置け。
 がつがつするな。さもないと、
 お前は他人の感情を傷つけることになる[お前は追い出される恐れがある]。
18大勢で食卓に着いている時は、
 人[隣人]よりも先に手を伸ばすな。
19教養のある者は少しで満足し、
 床に就いたとき息苦しくなる[物を吐く]ようなことはない。
20程よく食べることは安眠をもたらし、
 早起きは気分をさわやかにする。
 しかし、寝不足の悩みと、吐き気と、
 腹痛は、貪欲の結果である。
21強いられて食べ過ぎたなら、
 席を立って離れた所で吐け。そうすれば楽になる。
23子よ、わたしの言うことを聞け。わたしをさげすむな。
 お前は後になって、わたしの言葉を悟るようになるだろう。
 どんな仕事も手際よく[適度に]やれ。
 そうすれば、どんな病にも見舞われることはない。
23人々は、食べ物に気前よい人を口をそろえてほめちぎる。
 その気前のよさの証拠は信じるに足りる。
24町じゅうが、食べ物にけちな人を非難する。
 そのけちな証拠は確かである[永続する]。

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小高 毅

1942(昭和17)年、韓国京城(現ソウル)に生まれる。上智大学大学院神学科博士課程修了。この間、ローマのアウグスティニアヌム教父研究所に留学。カトリック司祭、フランシスコ会士。

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