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カトリック入門

第219回 法と恵み【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

(序)
*至福に召されてはいても罪に傷つけられている人間は、神の救いを必要とします。神の助けは、人間を導き、恵みによって人間を支えてくれる法を通して、キリストによってもたらされます。

1 道徳法
*道徳法は神の英知の業です。聖書的発想法では、これを父としての訓戒、神の教育法と定義することができます。人間に約束された至福に導く道としての行動規範を示し、神とその愛とに背かせる悪の道を禁じるものです。その掟は厳しいものですが、その約束は慈しみ深いものです。
*法とは、共通善に関する権限を持つ権威者によって公布された行動規範です。道徳法は、被造物の善のため、また被造物がその目的に到達することができるために、創造主の力と英知と慈しみとによって被造物間に打ち立てられた、合理的秩序を前提にしています。すべての法に秘められている基本的で究極な真理は、永遠の法に見いだすことができます。法は、すべてのものの創造主であり、贖い主である生ける神の摂理に参与するものとして、理性によって明示、制定されたものです。「理性による秩序づけが法と言われます」。
*道徳法の表現形態はさまざまですが、それらはすべて関連し合っています。すなわち、神のうちに存在するあらゆる法の源である永遠の法、自然法、旧約の律法と新約の法とを含む啓示された法、さらに民法や教会法などは、すべて関連し合っているのです。
*道徳法の完成と統一はキリストのうちで行われます。イエス・キリストご自身が完徳の道であり、法の目標です。イエス・キリストだけが神の義を教え、お与えになるからです。「キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために」(ロマ10・4)。

2 道徳的自然法
*人間は創造主の英知と善とに参与します。創造主は人間に自分の行為を支配し、真理と善とに基づいて自分を治める能力をおゆだねになりました。自然法とは、人間が善悪と真偽とを理性によって識別することができるようになる本源的な道徳的感覚を映し出すものです。
*神的な自然法は、善を行って自分の目的に到達するために取るべき道を人間に示します。自然法は、道徳生活を規制する主要で本質的なおきてを示すものです。その基本となっているものは、すべての善の源であり判定者である神へのあこがれと服従であり、他人を自分と等しい者と思える感性でもあります。その基本的な掟は十戒に示されています。この法が自然法と言われるのは、非理性的事物の本性に準拠しているという理由からではなく、この法を命じる理性が人間本性に固有のものとして備わっているという理由からなのです。
*一人ひとりの心のうちに存在し、理性によって明らかにされた自然法の掟は普遍なもので、その権威はすべての人間に及びます。それは人間の尊厳を表し、その基本的権利と美務との土台を明らかにします。
*自然法の適用方法は実にさまざまです。場所や時代や状況によって、さまざまな生活条件に適合した省察が必要になります。しかし自然法は、異なる文化の中でも人間相互を結び付け、避けることのできない相違を超えて共通の原理を課す規範であることに変わりはありません。
*自然法は不変であり、種々変動する歴史を通じて恒常的なものです。変わりゆく思想や風習の中でも生き続け、その進歩を支えます。自然法を表す諸規範は、本質的な点で効力を保ち続けます。その原理が否定されることがあったとしても、これを無くならせ、人間の心から取り去ることはできません。個人や社会の中で絶えずよみがえるものです。
*創造主の最高のみわざである自然法は、選択を導く道徳的規範の体系を人間がその上に築き上げることができるための土台を提供してくれます。また、人間共同体を築くために欠くことのできない倫理的土台も敷いてくれます。さらに、民放に必要な基礎も提供してくれます。事実、民法は、あるいは自然法の諸原理から結論を導き出すという考察の面で、あるいは自然法に実際的で法的な性格を付加するという点で、自然法との深いかかわりを持っています。

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