*「最後の晩餐」で有名な絵は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラチエ教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた作品で、フレスコ画ではなく、乾いた漆喰にテンペラで描かれた作品です。ドミニコ会の修道院にあるもので、1495年に作業に取り掛かり、1498年に完成した作品です。日本で言えば、室町時代に完成しています。
*これ以前の作品としては、フィレンツェのアンドレア・デル・カスターニョの「最後の晩餐」(1447年)やドメニコ・ギルランディオの「最後の晩餐」(1400年代の後半)などがあります。これらに共通するのは、バックの風景がその当時のものになっています。
1 最後の晩餐
*最後の晩餐のことについては、マタイ26章、マルコ14章、ルカ22章、一コリ11章にあり、聖書の記述としていちばん古いものは、一コリ11章です。次のように記されています。
主イエスは渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげて、それを裂いて、こう仰せになりました。これはわたしの体、あなた方のためのものである。わたしの記念として、このように行いなさい」。
食事が終わってから、主は杯についても同じようにして仰せになりました、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。これを飲む時はいつでもわたしの記念として、このように行いなさい」。実に、あなた方はこのパンを食べ、この杯を飲む時はいつでも、主が来られる時まではいつでも、主が来られる時まで、その死を告げ知らせるのです。(一コリ11・23~26)
*最後の晩餐について、聖書には四つありますが、マタイとマルコはエルサレム伝承、ルカと一コリはアンティオキア伝承に基づいています。つまり、エルサレム伝承のほうは、ユダヤ教から改宗した人たちにも分かるような書き方、アンティオキア伝承のほうは、異邦人から改宗した人たちに分かるような書き方がなされています。それぞれ比較してみると、興味深いものです。
2 その内容
*聖書の中で、イエスは「引き渡される夜」(一コリ11・23)、十二人の使徒たちと共に食事をとられた間に、ご自分の自由な奉献を最高度に示されました。
*イエスは受難の前夜、まだ捕らえられていなかった時、この使徒たちとの最後の晩餐を、人々の救いのために自ら進んで行われる御父への奉献の記念とされました。
*具体的な箇所としては、「これは、あなたがたのために与えられる、わたしの体である。」(ルカ22・19)また「これは、罪の赦しのために、多くの人のために渡される、わたしの契約の血である。」(マタ26・19)
*イエスがこの時に制定された感謝の祭儀は、ご自分のいけにえの記念となりました。イエスがご自身の奉献に使徒たちを組み入れ、この奉献を永続されるようにお命じになりました。こうして、イエスは使徒たちを新しい契約の祭司と定められました。「彼らのために、わたし自身をおささげいたします。彼らも真理によって、ささげられた者となるためです。」(ヨハ17・19)
*この最後の晩餐は、毎日のミサ聖祭の中で再現されていきます。毎日、全世界のどこかでミサがささげられています。司祭として、ミサの中で「これはわたしの体」、「これはわたしの血」と唱える時、キリストの代理をしているのだなあとつくづく感じます。
*最後の晩餐は、ミサの原点であるとともに、主の食卓を囲む豊かさを味わいたい。