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カトリック入門

「カトリック入門」 第81回 浦上四番崩れ【動画で学ぶ】

序)1867年「浦上四番崩れ」に端を発する弾圧により、1868年と1870年の二回にわたって、約3400名の浦上キリシタンが西日本の20藩(22箇所)に流配されました。この中で、662名が帰らぬ人となりました。

1 四番崩れまでの経緯
*1790年9月1日、浦上一番崩れが起きました。これは長崎の浦上で潜伏キリシタンがいることが分かり、捕縛されました。1797年には、こうした弾圧を避け、外海の潜伏キリシタン3000名が五島へ移住しています。
*1839年、浦上二番崩れが起きました。1844年には、パリ外国宣教会のフォルカード神父が、中国人伝道師アウグスチノ高とともに日本宣教を目指して琉球国那覇に入港しています。
*1856年、浦上三番崩れが起きました。浦上の信徒80名が捕縛されています。
*1867年7月15日、浦上四番崩れが始まり、キリシタン68名が投獄されました。1868年7月10日、浦上の中心的な信徒114名が三藩に配流されました。
 1870年1月、浦上キリシタン3000名が捕らえられ、21藩に配流されました。
*1873年2月24日、キリシタン禁制の高札が撤去されました。
 1873年3月14日、配流されていた浦上のキリシタン信徒が釈放されました。

2 四番崩れの起こり
*「浦上四番崩れ」が起こったのは、「長崎」に隣接した天領「浦上村山里」でした。かつて有馬晴信の寄進によるキリシタンの土地で、全村民がキリシタンでした。厳しい弾圧の中、一人の司祭もいない中で信仰を継承。
 一番から三番は密告によるもので、キリシタンであることを表明せず、奉行所にも異宗徒事件として処理した。それに対して、四番崩れは信徒自ら信仰を表明したので、前の三回とは違う事件となった。
*1865年、大浦天主堂が完成し、3月17日、浦上キリシタンは、プティジャン神父に自ら名乗り出て、222年ぶりに司祭と信徒の再会が実現した。信徒発見の出来事である。
*浦上の信徒たちは民家を改造して四つの秘密教会をつくり、大浦からひそかに神父を招いて教えを聞き、秘跡にあずかることができるようになった。浦上村には熱心な信仰生活が繰り広げられた。
*しかし、国内では依然として禁教下にあった。「踏み絵」と「寺請制度」があり、「踏み絵」は開国後廃止されたが、「寺請制度は続いていた。死者が出たら、聖徳寺の僧侶を招き、仏式の葬儀を営むのが定めであった。信徒発見後、しばらく死者が出なかったので問題は起きなかったが、1867年、本原(もとはら)の茂吉の死に始まって、次々と死者が出た。信徒たちは、聖徳寺に知らせず、キリシタンの葬儀を行った。いわゆる「自葬事件」である。心配する庄屋の仲介を断ると共に、聖徳寺と縁を切りたいという「申立書」を、浦上村の戸主全員の連名を添えて提出した。庄屋は驚き、このことは代官、奉行へと伝わり、挙句には江戸にも急報された。こうして逮捕は時間の問題となった。

3 四番崩れ
*1867年7月15日、奉行所の捕り手が大挙して浦上村に押しかけ、68人が桜町の牢に投獄された。「浦上四番崩れ」の勃発である。入牢は信徒たちに辛い体験となった。毎日、拷問にかけられ、改心を迫られるうちに、高木仙右衛門を一人残して、「改心」の爪判を押してしまった。10月、仙右衛門が庄屋預けで放免され、浦上村に帰った。浦上村では「改心」して放免された者たちが家に入れてもらえず、昼夜泣き、苦しんでいた。仙右衛門の呼びかけで「改心戻し」に奉行所に出頭した。まさに殉教の覚悟であった。ところが、奉行所は「沙汰あるまで待つべし」と庄屋預けにして、村に返した。時代は江戸から明治に変わった。
*1868年、明治の世になったが、キリシタン禁制は踏襲された。長崎裁判所は、未解決の浦上キリシタン問題の処理を第一の任務として、信徒26名を呼び出し「信仰を捨てよ」と厳命した。信徒は聞き入れない。
*一か月後、戸主180名を呼び出し、棄教を命じたが、それに応じないと共に、仙右衛門は面(おもて)を上げて、堂々と理由を述べた。農民がお上に逆らう態度は、裁判所にとって許しがたい行為として、「張本人は斬罪、キリシタンを流罪にして根こそぎにすべし」という処分を新政府に提出した。5月17日、御前会議が開かれ、極刑ではなく、「教徒千余人を、名古屋以西十万石以上の諸藩に配分監禁する」ということが決定された。
*1868年7月、津和野、萩、福山に配流が始まった。1870年1月には、3000名が21藩に配流された。キリシタンたちはこれを「旅」と呼び、これは拷問、説諭、飢えと渇き、苦役の苦しみの中、1873年まで続いた。
*「浦上キリシタン問題」は国際外交問題に発展し、やがて高札へ撤去された。こうして260年に及ぶキリシタン禁制が終わりを告げた。

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