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マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

38. ミラノ郊外の印刷工場を買う――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

 聖パウロ会の母院が建ち、中古のフランス製版機を買い入れたころ、ミラノの郊外セント・サン・ジョワンニにピエティ印刷工場が売り物に出されていた。ガリコというユダヤ人がブローカーになってアルベリオーネ神父に、「印刷に必要なものを買いませんか?」と話をもちかけて来た。この工場の所有者は、イタリアのある貴族で出版事業に失敗して印刷機械を売りに出すことにしていた。

 アルベリオーネ神父は、これを聞き知り、聖パウロ会初期の印刷技術者である二人の青年を連れて例の工場へ印刷機械を買いに出かけた。二人の青年は、組版のパウロ・マルチェリーノと印刷機械工のアンブロジオで、ともに当時一八歳であった。

 そのころ、アルベリオーネ神父は、胃の調子が悪く、何も食べないで朝早く汽車に乗って出かけた。二人の青年は、この神父を見守りながらミラノ駅まで行き、そこから小さな汽車に乗りかえて目的地のセント・サン・ジョワンニまで行った。アルベリオーネ神父は午後二時ごろ小さな駅につくと、今にも倒れそうなので、マルチェリーノ青年は、少し寝かせようと、駅の近くに宿屋を見つけた。しかし田舎の宿屋とて、ベッドのシーツは汚ないし、ノミもいたので、神父を寝かせることもできず、ただ腰をかけさせて、しばらく静かに休ませた。

 しかし、ユダヤ人のブローカーとの面会時間が近づくと、アルベリオーネ神父は「時間になったから、さあ行きましょう」と二人の青年に声をかけ、腰をあげた。青年たちは、神父を両わきか支えながら、目ざす印刷工場へたどり着いた。この工場には活字や植字用具一式、製本用具一式、二台のリノタイプのほか、いろんな印刷機械が一五、六台あった。二人の青年たちの頭では、これらの機械のうち二、三台を買うのがやっとだろうと考えていた。

 活字や機械類を、いちおう見て回ってから、アルベリオーネ神父は事務所でユダヤ人のブローカと商談をはじめた。神父はやせこけた上に顔色が悪く、今にも倒れそう。夏のさい中であるのに寒いといってマントをかけていた。それに比べ、ブローカは血気さかん、話題をあれこれ変えて「この工場のものを買ったら得だよ」とベラベラまくしたてた。神父は元気なく頭をうなだれ、眠っているのか目覚めているのか分らないていど、たまに相づちを打っていた。

 二人の青年たちは「二、三台の機械と部品を買いたいのだが、値段はいくらか」と聞いた。「中古品だから安くしたあげますよ」とブローカは答えたが、あれこれ話している間に「工場をぜんぶ買いなさいよ。ええ、もう、うんと安くして機械も工場の設備もぜんぶ一五〇万リーラ(約四千五百万円)であげますから、残らず買いなさい」と吹っかけた。

 二人の青年たちは、びっくりして「こんな大きな工場をぜんぶ買ったら、貨車一〇台分の運送費もかさむし、置く場所にも困ってしまう」と文句を言った。

 アルベリオーネ神父は、静かにブローカにたずねた。

 「ぜんぶでいくらだね」「一五〇万リーラと言ったでしょう」神父はちょっと考えて「一〇〇万リーラにしてください」「だめだね、一〇〇万リーラでは、ぜったいだめです」とブローカは顔色を変え、席を立って、あっちこっち行ったり来たりしながら大声でまくし建てた。

 神父がだまっているものだから、「ええ、それでは一三〇万リーラにまけておきましょう。それ以上まけられません」と言い寄ってきた。青年たちは目を丸くして、事のなりゆきを見守っていた。

 神父は相手が静かになるのを待って「一〇〇万リーラ」と言う。そのあともブローカは三回、四回ぐらい値を下げたが、神父はねばり強く一〇〇万リーラと言うものだから、とうとう根負けして一〇〇万リーラに値切られてしまった。しかし、神父は「今、お金がありません」と言う。

 「お金がないのに、どうして、ここまで買いに来たのですか?」「いま、お金がなくても、あとで払いますよ」「何で払うのですか?」「手形で」「どのくらいの期間の手形にしますか?」「二年間の手形?」「それは大変だ。一か月や二か月の手形ならよいけど。二年間とはね」「利息は、どうします?」「利息はつけないでください」「とんでもない、利息なしとは、ひどい」こう言ってブローカは怒ったが、仕方なく神父の言うとおり、二年間で利息をつけずに借金を払ってもらうことに決めた。

 商談が成立してのち、アルベリオーネ神父の一行は、その日の晩にアルバの修道院に帰った。帰ってから神父は、すっかり元気を回復した。

 その後、聖パウロ会の青年たちが大勢、例の工場へ行って機械を解体し、荷造りして自分たちの運転するトラックに積み込み、駅まで運んで貨車に乗せた。アルバ駅に貨車一〇台分の荷物が届いて青年たちが運び出すと、驚きの目を見張って言い合った。

 「このバカ者たちは、何をしでかすのだろう」と。 聖パウロ会の工場は、まだ骨組だけで完成していない。仕方なく荷物を庭に置いておいたところ、雨が降り出した。機械にドロはかかるし、サビはでるし大変であった。雨があがって、さあ機械の組み立て作業になると、これがまた一苦労。ばらすのはかんたんだが、組み立てるとなると、しろうとの手には負えない。むりして組み立ててみたものの、部品はあまるし、へんてこなかっこうになってしまった。けっきょく町から機械の技術者を呼んで、なんとかうまく組み立てることができた。

 しかし、機械を庭に野ざらしにしていては、泥棒に盗まれる危険がある。それを防ぐために昼夜交代で番をした。さいわい夏であったので夜は寒くもないし、近くにあったワラの中にもぐりこむと夜つゆにもあたらず、蚊にもさされずにすんだ。

 さて、機械を組み立てて動かすことはしたが、最もたいせつなことは、出版計画を立て、出版物の販売を拡張して収入の道をはかり、それを借金の返済と事業回転資金にまわすことである。この点においてアルベリオーネ神父は、才能を発揮し、敏腕をふるった。まず責任の分担を決め、部下の青少年たちに責任をもたせた。

 精神的なことはティトに、勉強のことはボラノに、出版のことはマルチェリーノに、会計はジャッカルドに、それぞれまかせた。このうちジャッカルドだけは、自分の趣味に合わぬ仕事をまかされた。ジャッカルドは神秘家で、天上的な観想にむいていたが、金銭や数字など地上的な取り引きはにが手であった。けれども、これを自分の務めとしてアルベリオーネ神父に叱られながら忍耐して責任を果たしていた。

 マルチェリーノは工場長として、印刷機械の責任者ドメニコともに相談して出版計画を立てた。 販売にはコスタ青年が一役買い、車でイタリア全土を回り、注文をとった。アルベリオーネ神父が出版の方針を打ち出し、青少年たちが、それに従って、印刷、注文、発送、会計の面を受け持ち、聖書だけでも百万部ぐらい印刷し、それを人びとに手渡したり、発送したりしていた。

 このようにアルベリオーネ神父が、若者を指揮して大々的に出版活動を始めた矢先に、パウロ会はまたもや思いがけない大きな試練に見舞われた。それは、みんなが汗みどろになって築き上げた印刷工場に火事が発生したのである。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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