「神は遅い」と感じたことはありませんか――。
新しい黙想シリーズ「遅れてくる神」は、待降節という“静けさの季節”に、あえてこの問いを正面から見つめます。祈っても変わらない時間、沈黙が続く日々、そのすべてを「不在」ではなく「準備」として読み替える霊的な旅。神の“遅さ”は私たちを焦らすためではなく、信頼を育てるための優しい間(ま)なのかもしれません。
初回「待つことの痛み ― 神はなぜ遅れるのか」では、神の沈黙に込められた愛を見つめ、焦りの中に潜む恐れと向き合います。
第2回「準備される沈黙 ― 神の“遅さ”にある慈しみ」では、神が沈黙のうちに私たちを整え、成長を待っておられる姿を描きます。
第3回「神の時間に生きる ― カイロスの感性を養う」では、人間の時間に追われる生から、神の呼吸に合わせて生きる霊的な減速へと導かれます。
そして第4回「来たる神、なお来り給う神 ― 遅れてくることの恵み」では、“遅れてくる”とは“今も来り続ける”という意味であることを味わい、永遠に新しい神の到来を希望として受け取ります。
遅れてくる神――それは、急がずに愛する神。
このシリーズを通して、あなた自身の“神の時間”に出会われることを祈っております。
著者紹介
聖パウロ修道会司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。
聖パウロ修道会司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。
