パウロはテモテに割礼を授けています。『使徒言行録』が記す、第二回宣教旅行においての出来事です。
「パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。」(使徒16・3)
一方、パウロは手紙の中で、割礼を授けることに断固として反対しています。たとえば、テトスの場合です。
「私と同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されなかった。……私たちは、片ときも、そのような者たちに屈服して、譲歩するような事はしなかった。」(ガラテヤ2・3、5)
パウロは次のようにも記しています。
「私パウロは、あなた方に断言する。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとって、キリストは何の役にも立たない方になる。」(同5・2)
これほどまでに割礼を授けることに反対するパウロが、なぜテモテには割礼を授けたのでしょうか。これは当然の疑問です。
疑問を解く鍵は、資料にあります。パウロの言動を知る資料には、二種類あります。第一の資料は、パウロ自身が書いた手紙です。第二の資料は、それ以外の全てのものです。この二種類の資料に記されたパウロの言動は、必ずしも一致しません。
テモテに割礼を授けたことを記しているのは、『使徒言行録』です。これはルカが著したもので、第二の資料に属します。
これに対して、割礼に断固反対しているパウロを私たちに伝えるのは、第一の資料、すなわち、パウロが書いた手紙です。右に引用した『ガラテヤの信徒への手紙』も、その一つです。
『使徒言行録』には、いくつかのパウロの説教も記されています。たとえば、アテネのアレオパゴスにおけるパウロの説教です。しかし、これらの説教も、生のパウロの説教を伝えるものではなく、ルカの信念を伝えるものです。ルカは、パウロの口を借りて、自分の確信を読者に伝えているのです。
第一の資料と、第二の資料との間に見られる、パウロの言動の不一致は、ほかにも指摘できます。たとえば、パウロの上京回数です。回心から使徒会議までの間に、パウロは「一度」エルサレムに上京したと、書いています。(ガラテヤ1・18)。これに対して『使徒言行録』では、パウロは「二度」上京したことになっています(使徒9・26、11・30)。
ルカが描くパウロを軽視する事はできません。『使徒言行録』は、パウロを理解するうえで、大変貴重な資料です。ただ、そこに描かれたパウロは、時として、生のパウロからズレている可能性があることを心得ておく事は、有益です。
では、ルカはなぜズラしたのか? これも当然の疑問です。