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ご存知ですか? 9月27日は聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭の記念日です

 聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭の記念日は、彼の帰天の日にあたる9月27日です。

 聖ビンセンチオは、1581年4月24日、フランス南西部の町プイ(現在は、聖人の名をとって「サン・ヴァンサン・ドゥ・ポール」)で生まれました。農業を生業とした家庭に生まれたビンセンチオは、両親の望みにしたがって、司祭となるべく勉学を始めました。しかし、それはおそらく純粋な宗教心からではなく、立身出世を望んでのことだったようです。当時は、上流階級に属さない人々にとって、司祭になることが社会的出世の道だったからです。ビンセンチオは、ダックスやトゥールーズなどで学んだ後、1600年に司祭に叙階されました。その後、ローマで勉強を続けた後、1608年にはパリに移り住み、ここでフランスの教会刷新に尽力していたピエール・ドゥ・ベリュル枢機卿に出会いました。彼の勧めで、パリ郊外の小教区での司牧体験をした後、1613年からビンセンチオはゴンディ家のチャプレンとなりました。貴族家庭のチャプレンとなるという形で彼の立身出世の夢はかないましたが、まさにその中にあってビンセンチオは真の愛に目覚めていくのです。

 ビンセンチオにとって大きなきっかけとなる出来事が1617年に起きました。一つは、ゴンディ家の領地を巡っているときに目にした貧しい人々の状況でした。教会の主任司祭が彼らに対する司牧を十分におこなわないため、彼らは罪を犯してもゆるしの秘跡にさえあずかることなく、放置されていたのです。ビンセンチオは、「霊的貧困」にさらされている彼らの状況に心を動かされ、ゆるしの秘跡を受け、罪の総告白をすることを強く勧めました。ビンセンチオが力を入れることになる「布教」活動の始まりでした。

 もう一つは、再び小教区の司牧を始めたときに、極貧にあえぐ家庭の存在を知らされたことです。ビンセンチオは、早速、教区民にこの家庭の状況を告げ、援助を訴えました。ビンセンチオのこの「布教」活動に対しても、多くの人々が賛同し、協力してくれました。

 ビンセンチオは、この2つの出来事の中に神の呼びかけを感じ取りました。つまり、2種類の貧困、すなわち「霊的貧困」と「物的貧困」にあえぐ人々の必要にこたえるようにとの神の招きを感じたのです。こうして、パリに戻ったビンセンチオは、この神の招きにこたえるため、1625年に「布教宣教者会」を創立しました。ビンセンチオが力を入れたのは、直接に貧しい人々を助けることと同時に、司祭を養成することでした。どんなに貧しい人々への援助を推進するために「布教」活動をおこなっても、彼らを霊的に導く司祭がいなければ彼らの救いにつながらないことを、ビンセンチオは1617年の体験から学んでいたのです。最初は、叙階前の神学生の黙想指導から始めたビンセンチオの活動は、神学校の設立にまで発展していきました。また、ビンセンチオは貧しい人々への援助の呼びかけに多くの女性が積極的にこたえたという経験から、後に列聖されるルイーズ・ド・マリヤックの協力を得て、1633年に「愛徳姉妹会」を創立しました。

 ビンセンチオが起こした活動は、これに影響を受けて生まれた活動も含めて、またたく間にヨーロッパ中に広まっていきました。その後も多岐にわたる活動を続けたビンセンチオは、2つの会の教会認可を受けた後、1600年9月27日、パリでその生涯を閉じました。

 聖ビンセンチオ・ア・パウロを荘厳に記念するミサでは、マタイ福音書9・35-38が朗読されます。この個所では、イエスの宣教活動が総括されています。「イエスは町や村を隈なく巡り、ユダヤ人の会堂で教え、み国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気と患いを癒やされた」(9・35)。イエスの宣教活動は、教えといやしのわざを伴います。すべての人が救いの道を歩むことができるように、神の国の福音を宣べ伝え、真の救いの道を指し示します。その一方で、病気で苦しんでいる人を実際に癒やされるのです。そのために、イエスはじっとしていることができません。あらゆる町や村を巡り歩かれるのです。

 しかし、この宣教活動は、イエスをさらなる宣教へと駆り立てます。「群衆が牧者のいない羊の群れのように疲れ果て、倒れているのを見て憐れに思われ」(9・36)るからです。牧者の役割は、羊を敵から保護し、羊に牧草を食べさせることです。牧者は、羊の群れを野獣のいない、草の生い茂る場所へと導きます。羊は、牧者のおかげで安心して生きていくことができるのです。逆に、牧者のいない羊は、どこへ行けばよいか分からず、常に野獣の危険にさらされています。何が救いの道かを示してくれる人がいないため、試行錯誤をしては失敗し、疲れ果て、倒れてしまっている人々の群れを、イエスは牧者のいない羊の群れに重ね合わせ、彼らの痛みを共感なさいます。彼らには、正しい道を示してくれる牧者、彼らを癒やしてくれる牧者が必要なのです。

 イエスはそのために、さらなる宣教といやしのわざをおこなっていかれます。しかし、イエスとともに働く牧者がもっと必要なのです。そこで、イエスは働き人をたくさん送ってくださるよう神に祈ることを弟子たちにお求めになります。働き人を送ってくださるのは主である神だからです。

 聖ビンセンチオ・ア・パウロも、当時の人々、特に貧しい人々を見て、イエスと同じように、彼らが牧者のいない羊のように疲れ果て、迷い苦しんでいると感じました。そこで、彼らを助ける人たち、特に彼らを守り導く牧者を募り、育てなければならないと痛感し、それを実践しました。今も、困難にあえいでいる人たちは大勢います。彼らは具体的な助けを必要としているだけでなく、救いへの道を歩むための霊的な助けをも必要としているのです。わたしたちは、この状況を見て、イエスのように、そして聖ビンセンチオ・ア・パウロのように、何かをしないではいられないという愛の炎に燃やされているでしょうか。少なくとも、そのための働き人を送ってくださるように、日夜、神に願い求めているでしょうか。

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