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ご存知ですか? 5月18日は聖ヨハネ1世教皇の記念日です

 聖ヨハネ1世教皇は、イタリアのトゥシアという町で生まれ、ホルミスダス教皇の後継者として523年8月13日にローマ教皇に選ばれました。ヨハネ1世の教皇選出以前の歩みについてははっきりとしませんが、教皇に選出されて後は、ゲルマン民族との戦争で荒れたローマの教会の復興に取り組みました。この時代のイタリア半島は、東ゴート王国の建国により、やや落ち着きを取り戻していましたが、フン族の移動によって起きたゲルマン民族の大移動と度重なる戦争、ついには西ローマ帝国の滅亡により荒廃していたのです。こうした状況にあって、ヨハネ1世教皇は、東ローマ帝国のユスティノス皇帝の援助もあり、聖人たちの殉教地に建てられた教会堂のいくつかや主要な大聖堂を修復することに成功しました。

 そのような中で、東ゴート王国のテオドリック王は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに使節団を派遣することを決めました。東ゴート王国は、当初、東ローマ帝国の後押しでイタリアに王国を建国することができたのですが、東ゴート王国が南フランスをはじめとして領土を拡張するに及んで、東ローマ帝国との関係は次第に悪化していきました。その後、東ローマ帝国では、ユスティノスが皇帝に即位し、ローマ帝国の再統一を模索するようになり、宗教的にも異端の根絶、特にアリウス派(キリストを神ではなく、被造物の中で最高の存在とする派)の取り締まりに力を入れるようになると、さまざまな問題が表面化してきました。ローマ帝国内において、アリウス派はすでに325年のニケア公会議で異端として斥けられ、その後の公会議でも異端であることが確認されており、勢力を失っていました。しかし、ゲルマン民族がローマ帝国領内に流入する段階で、アリウス派はいち早く彼らに宣教活動をおこなったため、彼らの間ではアリウス派が多数を占めていました。ゴート族の間でもアリウス派を信奉する人は多く、そのためテオドリック王は、東ローマ皇帝が布告したアリウス派を厳しく取り締まる法令を撤回するよう使節団を派遣することにしたのです。ヨハネ1世教皇が東ローマ皇帝と良好な関係にあることを知っていたテオドリック王は、ヨハネ1世を王国の首都ラベンナに呼び、使節団の長となるよう指示しました。ヨハネ1世は、ローマ教皇として、使節団の趣旨に賛同しませんでしたが、王の指示を拒めば西方のカトリック信徒が迫害されることを危惧し、この命令を受けました。

 これは、ローマ教皇がコンスタンティノープルを訪れた歴史上最初の機会となりました。ユスティノス皇帝はヨハネ1世を丁重にもてなしました。使節団は、いくつかの重要な点で皇帝の譲歩を引き出すことに成功し、ラベンナに戻りました。しかし、皮肉なことに、テオドリック王はヨハネ1世がコンスタンティノープルで大歓迎を受けたこと、皇帝から譲歩を引き出すことに成功したことをねたみ、また危険視し、ヨハネ1世がローマに戻るのを許さず、ラベンナに幽閉してしまいました。ヨハネ1世は、過酷な生活を強いられ、コンスタンティノープルから帰って間もない526年5月18日に亡くなりました。教会は、ヨハネ1世の帰天日である5月18日をその記念日に定めています。

 聖ヨハネ1世教皇を荘厳に記念するミサの中では、ルカ福音書22・24-30が朗読されます。これは、イエスが逮捕される前に、弟子たちと最後におこなった晩さんの中でのエピソードです。「使徒たちの間では、自分たちの中で、誰がいちばん偉いかという議論」(22・24)が起こります。そこで、イエスは、「あなた方のうちでいちばん偉い者は、年下の者のようになりなさい。また上に立つ者は給仕する者のようになりなさい」(22・26)と言われます。そして、ご自分のことを模範としてお示しになります。「食卓に着く者と給仕する者とでは、どちらが偉いか。食卓に着く者ではないか。しかし、わたしはあなた方の中で、給仕する者のようになっている」(22・27)。その後、イエスは使徒たちが「数々の試練の時に、ともに踏み留まってくれた」(22・28)ので、イエスの国で彼らに王権をゆだねることを約束なさいます。

 マタイ福音書にもマルコ福音書にも、似たようなエピソードが記されています(マタイ20・25-28、マルコ10・41-44)。しかし、置かれている場所はどちらも異なっていて、イエスとその一行がエルサレムに入る前なのです。ここからも分かるように、ルカ福音書の中でこのエピソードが置かれている場所は、際立っています。イエスは、十字架上の死を前にして、まるで遺言のように、使徒たちにこの教えを残しておられるのです。たしかに、ルカ福音書では、公生活の冒頭に置かれたナザレの出来事(4・16-30)から始まって、貧しい人々、抑圧されている人々、疎外されている人々にこそ、神の救いは優先的に向けられるということが強調されています。イエスご自身、小さな者として、この世にお生まれになり(ルカ1~2章)、仕える者としてふるまい、十字架の死をお受けになります。この世の「常識」と神の救いの計画の違いを、イエスはこのようにして、わたしたちに示してくださるのです。しかし、わたしたちはこの世の常識の中に生きているのですから、この違いは、イエスに従って、小さい者、低い者になろうとする人に対してさまざまな問題を引き起こしていきます。それでも、このような問題や苦しみを受け入れつつ、小さい者として生きていくことをとおして、真の支配、神の国、平和が実現するのです。

 聖ヨハネ1世教皇も、この世の支配者たちの中で、イエスの羊の群れの牧者として、小さい者として生きたのだと思います。ローマでは教会の再建に尽力し、テオドリック王や皇帝の前では教皇としての地位を誇示することなく、低い者としてふるまい、羊の群れへの奉仕に尽くしました。わたしたちも、この偉大な教皇の模範にならって、自分が置かれた場の中で、地位に踊らされることなく、低く仕える者として生きることができればと思います。

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