今日の箇所は、通常のヨハネ福音書に比べて、用語がきめ細やかに使われています。おそらくヨハネ以外の人が書いたのかもしれません。具体的には、「愛する」という言葉に、ギリシア語の「アガパオー」と「フィレオー」とが違った用語で使われ、イエスがペトロに答える言葉も「小羊を飼いなさい」、「羊の世話をしなさい」、「羊を飼いなさい」と違っています。
ちょっと細かく見ていきましょう。最初の「小羊を飼いなさい」(21・15)。「小羊」はギリシア語で「アルニオン」の複数形が使われています。これはヨハネの黙示録によく使われ、「いけにえの小羊」として、キリストや教会を表すのに用いられたりします。「飼う」は「ボスコー」が使われ、「(家畜の)世話をする」「えさを食べる」を意味し、群れを世話する時に使われたりします。第二番目の「羊の世話をしなさい」。「羊」はギリシア語で「プロバトン」が使われ、母羊を思わせるもので、ヨハネ10章に登場するよい羊飼いのイメージと重なっています。イエスがよい羊飼いで、弟子たちが羊。この箇所では弟子たちが「よい羊飼い」としてイエスから派遣されていきます。「世話をする」は「ポイマイノー」が使われ、「放牧する」「牧畜する」「番をする」の意味があり、散らされ、滅びの危険に渡されている群れを集めることを意味し、羊を水場に連れていく姿と重なります。最後の「羊を飼いなさい」。「羊」に「プロバトン」が使われ、「飼う」は「ボスコー」。よい羊飼いのイメージと群れをしっかりと世話する姿が重なります。
こうした表現を通じてイエスは、教会に対する指導者としての役割をペトロに委託していきます。最初は不安にも感じられましたが、それでもペトロに委ねていく。こうしてペトロはよい羊飼いとして命を捨てる覚悟ができたのではないでしょうか。最初は弱々しくても、イエスに従っていく。ペトロの歩みは、私たちの歩みそのものかもしれません。