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マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

49. 教会の方針に従う広報使徒職 ――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

 一九二三年(大正一二年)二月二十六日、サレジオの聖フランシスコの歿三百周年祭にあたり、ピオ十一世は「レールム・オムニウム」という回勅を発して、同聖人をカトリック著述者全員の保護者とし、その愛徳と温良さにならってカトリックの教えを広めるように、と次のように勧めている。

 「新聞やほかの著作の出版でカトリックの教えを説明し、敷衍し、普及しているすべてのカトリック著述者が、この荘厳な周年祭から特別の利益をうるようにと、私たちは望んでいる。議論にあたっては、全くフランシスコ独特の節度と愛徳とをかね合わせて、あの聖人の気力にならい、それを保ことが、あなた方に必要である。

 聖人は実際にその手本によって処すべき態度をあなた方に対して明確に教えている。すなわちまず第一に、あなた方がカトリックの教えを骨身をれずる思いで研究し、できる限り、これを身につけるようにと教えている。反対論者を傷つけまいと遠慮して本当のことを言わず、真理をぼかし、真理を隠すことのないように注意すべきである。

 物の言い方その品位にも気をつけ、美しい言葉で考えを表現し、もって読者が真理に快感を覚えるように配慮すべきである。反対論者と討論する場合であれば、誤謬を論破し、背徳者の不誠実には抵抗すべきである。しかし、その際、本当のことを言いたいから、しかもとくに愛情にうながされてそうしたのだということを相手にわからせるようにする。」

 アルベリオーネ神父はこう回勅を再読し、会員にもこれを読ませるようにと、パウロ会で出している週刊誌「善い出版の協力者連盟」の一九二三年二月二十七日号に掲載し、ジャッカルド神父に命じて次の注解をつけさせた。

 「ピオ十一世教皇は善い出版物による宣教歴史の中で偉大な者になるであろう。サレジオの聖フランシスコ歿三百周年に際しての回勅は、不滅の資料として残るであろう。この回勅で全教会の師である教皇は最高の使徒的、神的権威をもって善い出版物による宣教を聖なる使徒職とされた。回勅は、出版使徒職の本質と特徴について述べ、その道をさし示している。」

 アルベリオーネ神父の考えによれば、出版使徒職を実践するに当たり、著述家と技術者と普及者たちとを一団体にまとめようと目ざしていた。神父は「私は前の事に向かって進む」という本の中にこう書いている

 「使徒業の本質は一般に編集である。しかし本会においては、具体的に決められている通り、編集、技術、普及は一つの使徒業を構成する三要素である。しかし、それぞれには独自の価値がある。使徒業は、私たちを神の拡声機にする。著述する司祭、技術者、普及者たちは、会憲の精神と文面に従い、教会がわたしたちにまかせた使命の中で、唯一の使徒職に結ばれている。広報使徒職には、編集者、技術者及び普及者たちの強力なグループが必要である。美しい作品を上演する芸術家たちが、力を合わせるみたいに、みんなが力を合わせなければならない。なんと多くの意志とエネルギーが、ばらばらまとまりのないために、欲望や企てや幻想に使い果たされていることか! みんなが、いっしょになって心の糧と真理の糧とを準備しなければならない。」

 またアルベリオーネ神父は一九五○年、諸修道会の代表者会合で、新時代を開くような次の発言をした。「この新しいマス・メディアを用いてする新しい使徒職は、より大きな犠牲心と深い信仰を必要とする。むだに見える試みもせねばならず、眠さにも負けていられないし、時間表が要求する犠牲もある。資金不足、多くの人の無理解、あらゆる種類の霊的危険、マス・メディアを選ぶ際の洞察力……。人を救うこと、しかしまず自分を救うこと。まだ未開拓の、標識さえもないこの道を行くために、聖人たちが必要である。もの好きでできる仕事ではない。ほんとうの使徒のすべき仕事である。」

 それからモンティーニ司教(のちのパウロ六世教皇)が著述家たちに話していた表現をアルベリオーネ神父も何回となく引用し、マス・コミ使徒職を人びとに勧めた。

 「神のみことばを取り上げなさい。それにインキと活字と紙切れの衣を着せて世界に送り出しなさい。マリアが人びとに受肉した神を与えたように、紙切れになった主、紙切れになった神を人びとに与えなさい。紙切れになったことと受肉とは似通っています。」

 またアルベリオーネ神父は、聖パウロについての絶え間ない黙想から、使徒的普遍主義つまり第二バチカン公会議で強調された、救いの普遍性を汲み取って、こう言っていた。「あらゆる使徒職とあらゆるよいわざを照らし、ととえねばならない。すべての民の心にキリストをもたらさなければならない。公的のすべての必要のため、適応と理解の精神をもってねあらゆる問題に教会が存在していることを感じさせなければならない」と。

 さらにアルベリオーネ神父の考えによれば、書くこと、印刷すること、活字を組むこと、雑誌、編集、映画やテレビ番組の準備は、祈りであり説教であって、なお輪転機は新しい説教壇であり、代理店は、神のみことばが伝えられるもう一つの教会である。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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