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みことばの響き

永遠のいのち 死者の日(ヨハネ6・37~40)

 今日の福音の中で「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである」(ヨハネ6・39)ということばは、全ての人を救いへと招かれるキリストの思いがよく伝わってきます。

 17年前の9月16日、聖パウロ修道会の会員だったブラザー内野が亡くなりました。59歳。彼が20代、30代の時はとても元気で、北アルプスなどへも何度か一緒に登ったことがあります。亡くなる一か月前の8月14日から15日には箱根の修行所へ行き、のんびりと温泉にもつかり、一緒にシャブシャブを食べながら、ゆっくりとしたひと時が懐かしく感じられます。前年の7月、胃の全摘手術を受けた割には体調もよかったのですが、9月初めに体調を壊し、その後、日に日に体力が衰えていきました。9月8日に都内の病院に入院し、治療に専念しました。しかし、ガンが他の臓器にも転移。とても辛かったと思います。モルヒネの注射も始まり、日に日にその回数・量が増えていき、死期が近づいているのを感じていたようです。痛みにじっと耐えながら十字架上のキリスト(9月14日:十字架称賛)、悲しみの聖母(9月15日)と共にささげておられる姿は感動的でした。病室を離れる時、祝福を与えると丁寧に十字架を切る。その仕草から、誠心誠意、信仰をもって奉献生活を生きているなあと思いました。臨終にあたり、担当の医師が「内野さん、最後までよくがんばったね。辛いとか苦しいとか、弱音は最後まで吐かなかったね」と言われ、とても心に響いています。最期は安らかに、そして静かに息を引き取った姿に、信者でない先生にも、信仰者として、修道者としての生き方を証した気がします。

 いつかは誰にでも死が訪れます。その時というのは、慌しいものでしょうか、それとも静かに訪れるでしょうか。「終わりの日に復活させること」と語るイエスのことばから、全ての人を永遠のいのちへと主が招いてくださることは確かです。ブラザー内野の死を通して、そんなことをより強く考えさせられました。

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