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マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

85(終). 清貧について――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

 アルベリオーネ神父によるとパウロ的な「清貧は五つの役割をもっている。すなわち放棄すること、生産すること、保存すること、供給すること、建築することである。」

 第一に清貧は、物品であれ権利であれ、放棄すること、言いかえれば、この世のものすべてから、たとえば財産、地位、名誉、親族、友人、故郷から、また気晴らし、空想から離脱することである。そうすることによって何ものにも執着せずに、精神の完全な自由をうることができる。アルベリオーネ神父は言う。「たとえ、それが一つの糸であっても、それに愛着している人は、紐につながれている鳥のようなもので、聖性の高い所に向かって飛ぶことはできない」と。

 気晴らしや空想からの離脱についてアルベリオーネ神父は、こう述べる。「知性はいちばん浪費しやすいものである。多くの無益な思い、空虚な白昼夢、心を乱す記憶に満ちた知性は、何の益にもならない。……これは、窓からすてられるお金、存在するものの中で最も上等な、もっとも貴重なお金である。……それなのにもっと完全に神に光栄を帰するもの、私たちを非常に神に似たものとするものを浪費してしまうことは悲しむべきことである。

 しかし、一方では、神を知り、聖なる真理を黙想し、キリスト教の教え、福音、自分の決心などを思い出すために自分の精神を最高度に役立たせる人もいる……。

 過去のことは、もう終わり、未来は、まだ私たちのものではない。無益な上に危険でさえある過去についての思い出で知性を満たすのはなぜか? 『もし、あの事務所におかれたら、こうしようとか、あの修道院に行ったら、ああしよう、こうしよう』などと、未来についての空中楼閣を建てるのはなぜか? ああ、なぜ想像力を浪費するのか? キリストの御受難、ご死去、ロザリオの玄義の場面を描くために、それを使いなさい。夢見る人ではなく、現実家でありなさい。現在のことを考えなさい。いま黙想しているのなら、宣教に出されたら何をしているのだろうかなどという空想にふけらないように! そんなことをしていたらたやすく時間を浪費してしまう。

 ……ここかしこを流れる数多くの小川は、そのものでは何の役にもたたないが、いったん、電気発電のため、大きな導管に集められると、光と熱のもととなる。このように、ごく普通の知能は、それらを集めるなら、考えと時間のエネルギーを多くのことに費やし、効果のうすいことに用いる多忙な他の人のそれより、多くのものを与えることになる。」

 聖パウロは貧しく生活した理由をこう述べている。「私は福音を与え、福音によって私の持つはずの権利を利用しない。私は皆に対して自由であるが、できるだけ多くのことに費やし、効果のうすいことに奴れいとなった……すべての人びとに対して、すべての人になった……」(Ⅰコリント9)。

 アルベリオーネ神父は、この聖パウロの思想をこう展開している。「競技場で走る人びとは、荷物やトランクを持ちはしない。むしろ競技に全力投球できるために必要なものだけを身につける。本当に清貧を愛する人は、天国に向かって、もっと身軽に走るのである。……清貧を本当に愛するために、人は地上から離脱すればするほど、信仰と希望に対する愛、天的英知、聖霊のたまものに富む者になるということを考える必要がある。」

 芭蕉も「旅の具多きは身にさわりなり」と言って清貧を愛した。

 しかし、清貧の偉大さは、ただ貧しく生活する、何も所有しないということにあるのではなく、なんのために、すべてを放棄するか、その動機にある。それはいっそう神に仕え、まわりの人にいっそうよく奉仕するため、いわば神と人びとに向かって完全な愛を実践するためである。聖パウロは主キリストの清貧の動機を、こう説明する。

 「主キリストは、その貧しさによって、あなた方を富ませるために、富める者でありながら、あなた方のために貧しい者となられた」(Ⅱコリント8.9、フィリッピ2.9)。

 それで金もうけだけを目あてにする使徒職はよくないし、使徒職には利用できない。動産、不動産の蓄積は、避けなければならない。さらにアルベリオーネ神父は、放棄するという清貧の消極面のほかに、生産し、供給し、建設するという清貧の積極面を大いに実行した。彼は言う。「清貧は所有しないことにあるのではなく、むしろ持っていても、清貧に生きるすべを知っているときにこそ、清貧の証しとなる。」

 第二に清貧は生産すること、つまり労働によって何かをつくり出し、人に与えることである。アルベリオーネ神父は言う。

 「三〇歳になるまで家庭的な徳と厳しい労働によって世をお救いになられた神! 救いのための労働、使徒職、苦労のいる労働、肉体的力をも含めた全力を積極的に神への奉仕にあてることこそ完徳の道ではないだろうか。……労働は健康のためによいのではないだろうか。怠惰や多くの誘惑から守ってくれないだろうか……シスター方は、センターにおいて、使徒職を行うにあたり、もっと身軽で敏速に、その力を発揮しなければならない。自転車、自動車で行ける能力、現代的な手段を使える能力がなければならない。生産などを知っていなければならない。たしかにこのことはすばらしい。人びとは、シスターのいっぱい乗っている車が走っているのを見……また一方のらりくらりと歩いているのを見る時、ある種の矛盾を感ずる。……神学生時代対と特にそれ以後、彼(アルベリオーネ神父)は、ナザレのイエスの労働にいそしむ生活の秘義を黙想した。

 イエスが三〇歳になるまで家庭的な徳と重労働をもって世を救われたように、あがないの労働、使徒的活動、苦しい労働、体力を含めた全力を積極的に神への奉仕にあてること、これこそ完徳の道ではないだろうか。神は純粋現実有ではないか。イエス・キリストの貧しさである修道的清貧は労働と関係あるのではないか。労働の崇敬、労働者イエスに対する信心があるのではないか。修道者は人一倍、かてを得るために働くという義務を果たすべきではないか。これは聖パウロが自分に課した規則ではなかったか。これは社会的な一つの義務をあり、使徒たるものは、これを果たしてはじめて人前に出て説教できるのではないか。労働は私たちを謙遜にするのではないか。……イエス・キリストが、この道をとられたのなら、この点こそ、まず初めに再建するべきことだったからではないだろうか。労働は徳を積む方法ではないか。もし家族(パウロ会)に労働の精神があれば、キリストにあっていきる生活の本質的な一部を確立するのではないか。

 終生誓願を宣立した修道者は、まだ力がある間は、少なくとも三、四人の面倒を見なければならない。すなわち、自分のためと、養成期間にある他の志願者と自分の老後を養うための費用をまかなわなければならない。それは、一家の父親が負っている義務ではないか。」

 さらに各人は、ほかの人の才能を認めてあげる代わりに、自分の時間も才能も惜しみなく使わせる。 第三に清貧は保存すること、すなわちお金でも物品でも節約して使い、所有物の管理、保存に気を遣うことである。アルベリオーネ神父の考えによれば、この世のもの、また私たちの時間と力とはすべて神さまからのあずかりものであり、神と隣人たちのためにある。とくに公共のもの、たとえば自動車や印刷機械類は大切に使い、掃除や修繕をよくして置く。公共のものはとかく、個人のものより、ぞんざいに扱われやすい。この点についてアルベリオーネ神父は、こう述べている。「個人としての清貧も共同体の清貧も、それを実践するのはむずかしいことである。すべてを共有し、それを個人的な使用にあてず、許可がなければ、使わないのは、むずかしい。もう一つのむずかしいことは、お金をたやすく使うと同時にそれから離脱していることである。もう一つのむずかしいことは協力者と気安い関係をもつが、その協力者を個人的な余分な安楽のために利用しないことである。協力者たちは修道院のためであって、個人のためではない。

 使徒業から生活費をえても商売をしないのはむずかしい。一九二一年に聖座から私たちに与えられた第一の掟は『商売の修道院とならないために、あらゆる用心をしなさい』ということであった。商売ではなく、霊的取り引きをしなさい。ただ産業ではなく、魂を救うための無限の産業をしなさい。……お金ではなく、永遠の宝を求めなさい。

 私たちの書店は使徒職の中心である。そこでは商取り引きではなく、福音書を中心とするのである。お金ではなく、魂を求めるのである。使徒とは、自分の魂の中に神を抱き、それを自分のまわりに輝かせる方であり、宝をつみ重ねて、ありあまるものを人びとに伝える聖者である。

 善いことは倍増しながらも、それを産業化しないのはむずかしい。すなわち、普通の出版社なみに競争販売しない。私たちは使徒であって実業家ではない。そうでなければ私たちはこの世だけの報いしかいただかないであろう。それについてなおいっそうむずかしいのは、規則として最良の手段を所有し、時代の情況に応じて主がそなえてくださるものすべてに順応することであり……順応できるが、しかし義務は放棄しないことである。」

 第四に清貧は供給すること、つまり必要なものを備え、配慮することである。アルベリオーネ神父は、こう述べている。「収入に見合わない借金をすることによって、あやうく信心、使徒職、勉強ができないほどにしてしまう。しかし、信心、健康、使徒職、勉強、つつましい住まいのために絶対に必要なものを配慮しないことも同様に有害なことである。……しかし、ベトレヘムとエジプトにおける聖家族の生活に比較される時期もある。もう一つは、ナザレに聖家族が住んでいた時の生活に比較できる時期もありうるし、聖師の公生活に比較できる時期もある。家屋や機械などが慎重に求められ、注意深く使用されるならば、もっとたやすく支払うことができるであろう。」

 将来に備えて物品をそろえることも必要だが、もっと大切なのは使徒職に働く人材をそろえるておくことである。この人材の養成にこそ、いっそう投資すべきであろう。アルベリオーネ神父は司祭と修道者の召命問題に最大の関心を払い、多くの著述やカトリック要理の教授、霊的指導、生活面の指導などによって召命運動を促進させ、さらに召命運動に献身する「使徒の女王修道女会」をも設立した。アルベリオーネ神父は、こう述べている。

 「もし私たちが、ほんとうに、隣人を自分と同じように愛しているならば、私たちが有している偉大な善である召命を、多くの人にも望むに違いない。もし私たちが聖性へと向かう精神を持っているなら、他の人びとがこの理想を生きることを望むに違いない。……天父に協力することは、かごをつくることにあるのではなく、すずめを捜すことにもある。私たちが『巣を私たちにください』と言う時、鳥かごと鳥を求めていることを意味する。……私たちの原因で一つの召命も失わないように注意しなければならない。ます祈ること、次に招き、活発に動くこと。この点に関して、まだ怠惰、臆病、無関心、冷淡がある。」

 清貧の第五の機能は建設すること、すなわち修道院や工場を建築したり、組織をつくり、活発に建設的な意見を述べ合い、アイディアを提供し合ったりして共同体を盛り立てることである。アルベリオーネ神父は、この点についてこう述べている。

 「一般に教会と修道院を聖化するのは非常にやさしいことである。修道院を功徳と召命と使徒職ならびに喜びに溢れた修道生活と祈りによって満たし、聖化しなさい。……考えだけはたくさん集めるが、そこから何の結論も引き出さない人がいる。レンガ、セメント、タイルなどの建築材を庭に積み上げて、そのままに放っておくなら、あなたたちは、お金と材料をむだにしていることになる。そうではなく、一定のときに役に立つ、定まった目的を持つものだけを買い求めなければならない。あなたたちは、いろんな知識や考えを持っているのだから、それを建設的に役立てなければならない。」

 アルベリオーネ神父の考える清貧は、人間味にあふれ、まずキリストの言うように、「塔を建てる」ために見積もりをつくる(ルカ14.18~33参照)。

 それは逆説的な見積もりであって、次のことばでまとめられる。「私たちはキリストの弟子となるためにすべてを捨てた」ので、ひたすらキリストに信頼して、塔を建設することができる。さらにキリストに信頼する人たちは万事にきわめて弱く、無知で、不足していることを認めるはずである。とくにパウロ家の創立当初のことを考えれば、経済的に貧しく、外部からの非難、圧力は強く、会員の印刷技術水準もそんなに高くはなかった。それにひきかえ、主キリストは道・真理・生命、復活、唯一最高の善であり、「私の名によって父に求めるものは、なんでも受ける」と言われた。

 それで、創立者は、パウロ家の不足は認め、全力を尽くしながらも、主キリストの助けを信じる。つまり「人事を尽くして天命を待つ」心がまえで常に生活していた。別のことばで言えば、アルベリオーネ神父は、パウロ家のこれから行う事業の見積もりを立て、私たちとしては、これこれのことをしますから、主よ、これを助けてくださいという一種の約束手形を作ったのである。この手形にはアルベリオーネ神父とジャッカルド神父の署名がはいっている。

 のちにこの手形は、パウロ会員と聖師イエスとの間に交わされた双務契約の形式を取り、聖パウロと使徒の女王聖マリアに承認となってもらっている。

 この契約は、アルベリオーネ神父が創作したパウロ家の祈りの一つ「成功の秘訣」の中に、継ぎのようにまとめられている。

 「師イエス、使徒の女王聖マリアと、私たちの父聖パウロのみ手を通して、あなたにささげる約束をお受けください。

 私たちとしては、生活にも、使徒職にも、万事において心を尽くし、ただ常に、あなたの光栄と人びととの平和を求めることを約束し、これを義務として負います。

 あなたとしては、私たちに、よい精神、知識、善の手段を与えてくださることを確信しています。」

 アルベリオーネ神父の遺体はローマの「使徒の元后」大聖堂の地下聖堂に復活を待って、聖パウロ女子修道会の初代総長マリア・テクラとともに永遠の眠りについている。しかし、その精神は、パウロ家の中に生き続け、パウロ家の霊性を養い、マス・ミコによる宣教活動を促進させている。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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